特許法の八衢

19世紀の米国特許法には先使用権があった?

武生昌士「英米特許法における先使用概念に関する一考察」日本工業所有法学会年報38号(2015)10頁によれば、
1839年米国特許法には、「既得権条項(vested rights clause)」というものが存在したらしい(1952年改正で削除)。

既得権条項は,新規に発明された機械,製造物又は組成物を,発明者にyよる特許出願よりも前に取得するなどした者に,当該機械等を使用する権利及び使用のために他者に売却する権利を与えるものであるものである。他方で,特許出願前にこのように機械等を取得したり先使用したりした者がいたとしても,特許は無効にされない,ということも定めている。

とのことである。

ただし、上記論文では、

既得権条項は機械等の使用及び使用のための販売の権利を与えるのみで,機械等の生産(製造)の権利を認めるものではない。我が国の現行法との対比でいえば,先使用権というよりは特許出願の時から日本国内にある物に対して特許権の効力が定めた69条2項2号にむしろ近いものなのではないだろうか。

と述べている。

なお、この論文は、古典的英国法(1977年改正前の英国法)や2011年改正前米国法、さらには現行オーストラリア法という、日本における先使用のような規定がない法制度について何故そのような形態をを採っているのかを検討しており、興味深いものである。

米国の先使用権の範囲

米国の先使用権(35 U.S.C. § 273)の範囲(実施態様の変更はどの程度認められるか)を調べようとしたが、
American Invents Actより前は、先使用権の適用がビジネス方法(a method of doing or conducting business)に限定されていたため、この論点はもちろん、先使用権について論じた判決自体がほとんどないのか――特にCAFC判決は皆無?

実施可能要件とサポート要件との関係―知財高判平成29年2月2日(平成27年(行ケ)第10249号等)

本件は特許有効審決に対する審決取消訴訟事件であり、判決は審決を維持した*1知財高裁第4部 高部コートの判決である*2

進歩性も論じられているが、注目すべきは、実施可能要件とサポート要件との関係を述べた点にあるだろう。

特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるか否か,また,発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるか否かを検討して判断すべきである。

特許法36条4項1号が実施可能要件を定めた趣旨は,明細書の発明の詳細な説明に,当業者がその実施をすることができる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,実質において発明が公開されていないことになり,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからであると解される。
本件発明は,物の発明であるところ,物の発明の実施とは,その物の生産,使用等をする行為であるから(特許法2条3項1号),物の発明について上記実施可能要件を充足するためには,明細書の発明の詳細な説明において,当業者が,明細書の発明の詳細な記載及び出願時の技術常識に基づき,過度の試行錯誤を要することなく,その物を生産し,かつ,使用することができる程度の記載があることを要する。

本件明細書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件を充足するか否かは,当業者が,同記載及び出願時の技術常識に基づき,過度の試行錯誤を要することなく,その物を生産し,かつ,使用することができる程度の記載があるか否かの問題である。他方,サポート要件は,特許請求の範囲の記載要件であり,本件特許請求の範囲の記載がサポート要件を充足するか否かは,本件特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された説明であり,同記載及び出願時の技術常識により当業者が本件発明の課題を解決できると認識し得るか否かの問題であり,実施可能要件とは異なる。


実施可能要件とサポート要件との関係と言えば、飯村コートのフリバンセリン事件判決=知財高判平成22年1月28日(平成21年(行ケ)第10033号)が思い出される。当該判決は以下のように述べていた。

法36条6項1号の規定は,「特許請求の範囲」の記載について,「発明の詳細な説明」の記載とを対比して,広すぎる独占権の付与をを排除する趣旨で設けられたものである。

法36条6項1号の規定の解釈に当たり,「発明の詳細な説明において開示された技術的事項と対比して広すぎる独占権の付与を排除する」という同号の趣旨から離れて,法36条4項1号の要件適合性を判断するのと全く同様の手法によって解釈,判断することは,同一事項を二重に判断することになりかねない。仮に,発明の詳細な説明の記載が法36条4項1号所定の要件を欠く場合に,常に同条6項1号の要件を欠くという関係に立つような解釈を許容するとしたならば,同条4項1号の規定を,同条6項1号のほかに別個独立の特許要件として設けた存在意義が失われることになる。

法36条6項1号は,前記のとおり,「特許請求の範囲」と「発明の詳細な説明」とを対比して,「特許請求の範囲」の記載が「発明の詳細な説明」に記載された技術的事項の範囲を超えるような広範な範囲にまで独占権を付与することを防止する趣旨で設けられた規定である。そうすると,「発明の詳細な説明」の記載内容に関する解釈の手法は,同規定の趣旨に照らして,「特許請求の範囲」が「発明の詳細な説明」に記載された技術的事項の範囲のものであるか否かを判断するのに,必要かつ合目的的な解釈手法によるべきであって,特段の事情のない限りは,「発明の詳細な説明」において実施例等で記載・開示された技術的事項を形式的に理解することで足りるというべきである。


高部コート判決も飯村コート判決も、実施可能要件とサポート要件とを区別する点*3では同じだが、サポート要件につき、高部コート判決は「発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるか否か」という基準で判断している*4のに対し、飯村コート判決はクレームが発明の詳細な説明に「形式的に」書いてあれば充足すると判断している(と見える)点で、大きな相違があるように思われる。

なお、実施可能要件とサポート要件との関係のこれまでの裁判例は、上記飯村コート判決の評釈である、前田健「実施可能要件とサポート要件」中山信弘ほか編『特許判例百選〔第4版〕』(有斐閣,2012)47頁に簡潔にまとめられている。

*1:ちなみに、対象特許は、Eli Lilly and Company v. Teva Parenteral Medicines (Fed. Cir. 2017)の対象特許の日本ファミリーであり、権利者=本件被告はもちろん「イーライ リリー アンド カンパニー」、また審判請求人=本件原告には「テバ ファーマスーティカル インダストリーズ リミテッド」が含まれる。

*2:裁判体は、高部眞規子,古河謙一,鈴木わかな。

*3:これに対するのは、両者を実質的に同一と見る「表裏一体説」である。この見解を主張するものとして、前田健特許法における明細書による開示の役割―特許権の権利保護範囲決定の仕組みについての考察』(2012,商事法務)81頁以下。

*4:特許庁による『特許・実用新案審査基準』も同様の判断基準である。