特許法の八衢

田村善之『知財の理論』に対する雑感

田村善之『知財の理論』(有斐閣,2019)は、次の10編の既発表論文(および「あとがき」)が収められた論文集である*1著者の膨大な著作のなかから、著者の思想・方法論を知る上で重要な論文が選ばれたのであろう。

第1章 知的財産法総論

  • 1 知的財産法政策学の試み(2008)[32頁]*2
  • 2 知的財産法学の新たな潮流――プロセス志向の知的財産法学の展望(2010)[37頁]
  • 3 「知的財産」はいかなる意味において「財産」か――「知的創作物」という発想の陥穽(2014)[20頁]
  • 4 競争政策と「民法」(2007)[20頁]

第2章 特許法

  • 1 プロ・イノヴェイションのための特許制度のmuddling through(2011,2012,2015,2018)*3[150頁]
  • 2 知財高裁大合議の運用と最高裁との関係に関する制度論的考察(2017)[32頁]

第3章 著作権法

  • 1 日本の著作権法のリフォーム論――デジタル化時代・インターネット時代の「構造的課題」の克服に向けて(2014)[99頁]
  • 2 著作物の利用行為に対する規律手段の選択――続・日本の著作権法のリフォーム論(2016)[51頁]
  • 3 著作権法の体系書の構成について(2015)[16頁]

第4章 知的財産法学の将来

  • 知的財産法学の課題~旅の途中~(2018)[43頁]

あとがき[5頁]

第1章(および第4章)には知的財産法学の方法論「知的財産法政策学」に関する論文が配されているが、これら論文は抽象度が高いため、いきなり読むのはハードルが高いと思われる。

そこでまずは、第3章1「日本の著作権法のリフォーム論」を読むことをお勧めしたい。長期的かつ大局的な観点から日本著作権法の立法論を述べた論文であり、著作権法に対する著者の考え方(理想)がストレートに現れている*4。そしてそれだけでなく、著者の方法論の実践の好例でもある。内容紹介に代えて、本論文の主なキーワードを挙げると、「政策形成過程のバイアス」「条文とユーザーの理解との乖離」「零細的利用」「司法と立法との役割分担」「孤児著作物」「寛容的利用」*5「フェア・ユース」「ルールとスタンダード」「差止請求権の制限の可能性」「オプト・アウトからオプト・インへ」といったものとなる。大部であるが、裁判例その他の具体例も多いため非常に読みやすく、田村知財理論への入門として最適な論文だと考える。

その後は、読者の関心に応じて、著者の著作権法観について深く知りたければ第3章2および3へ、著者の方法論の特許法(を含むイノベーション促進策)への実践について知りたければ第2章へ、著者の方法論そのものについて知りたければ第4章へ、読み進めばよいであろう。以下、個々の論文の内容を簡単に述べる。

第3章2「著作物の利用行為に対する規律手段の選択」は、(先の「日本の著作権法のリフォーム論」と比較して)短期的な視点に立った立法論である。広狭様々な著作権制限方策を列挙し、その役割分担を検討した後、(本論文の初出時点では日本法への導入が検討されていた*6拡大集中許諾制度についての評価で結ばれている。第3章3「著作権法の体系書の構成について」は、種々の著作権法体系書の構成(説明の順序)を分析するとともに、自著『著作権法概説』の構成の意図=著者の著作権法体系観を解説する、という凝った趣向の論文である。これを読むと、『著作権法概説』の構成がいかに工夫されたものかが分かるとともに、いやが上にも新版の発刊を期待してしまう。

第2章の2つの論文においては、イノベーション促進のための役割分担論が展開される。第2章1「プロ・イノヴェイションのための特許制度のmuddling through」著者には怒られるかも知れないが前半の実証研究・理論の紹介部分はさしあたり読み飛ばして、「プロ・イノヴェイションのためのmuddling throughの手法(1)」(176頁以下)から読み始めるのが良いであろう。そこでは、市場と(特許法に限られない)法との役割分担論から、市場の活用が重要であり「知的財産法の介入を最小限に抑えることができるとすれば,それに越したことはない」(179頁)との主張が説かれる*7。続く「プロ・イノヴェイションのためのmuddling throughの手法(2)」以降では、「新たな保護対象に対する特許の拡大に関しては謙抑的に構え,市場の活用を優先するとしても,すでに特許制度による保護が確立している分野に関しては,特許制度のなかで漸進的な試行錯誤*8を繰り返すことが第一義的な対応策となる」(186頁)と述べた後、そのための手法である(特許制度のなかの)役割分担論が展開される。具体的には、特許無効審判に加えて付与後異議申立の存在する意義・無効の抗弁に加えて無効審判の存在する意義・均等論・差止請求権の制限という素材が、特許制度における法的判断者(e.g. 特許庁・裁判所・出願人)間の役割分担の視点から分析されている。第2章2「知財高裁大合議の運用と最高裁との関係に関する制度論的考察」は、役割分担論の対象をより絞った、(特許制度における)司法機関の間の役割分担論である。専門性において優位に立つ知財高裁大合議と、審級において優位に立つ最高裁、この2つをイノベーション促進のためにどのように役割分担すべきかが、知財高裁大合議からの上告審事件3件*9の分析評価を通じて、検討される。この2つの論文を通じ、役割分担論という手法の有用性を確認できるだろう。

第4章「知的財産法学の課題~旅の途中~」は、2017年の講演の記録である。著者のこれまでの集大成的な講演録であり、本書第1章の各論文の要約・解説的な内容も含んでいるため、第1章よりも先にこちらを読んだほうが著者の方法論を把握しやすいであろう*10。本講演録は、「なぜ知的財産法学は難しいのか」その理由を説明するところから始まり、「知財財産」「知的創作物」という用語の危険性を述べるとともに、知的財産法学に求められる5条件――「立法論を展開しうる」「市場と対峙しうる」「関係機関の役割分担を議論しうる」「規範の定立を統御しうる」「政策形成過程のバイアスに抗しうる」――を提示する。そして最後に、法解釈論固有の(立法論のそれとは異なる)方法論が示される。
方法論が言語化・体系化されていることに驚くとともに、それが公開され読むことができるのをありがたく思う。この方法論を意識して著者の論考を読めば、より深い理解が得られよう*11。この方法論によって刺激的な論文が今後も生み出されることを望むとともに、「旅の途中」と自評されている方法論のさらなる進化にも期待したい。

*1:残念ながら、各論文は発表当時ほぼそのままの形で収められており、その後の展開を踏まえた加筆等はない。

*2:()内は初出年・[]内は論文総ページ数を示す。以下同。

*3:断続的に雑誌連載されたものである。

*4:「そもそも長期的な視野で考えるのであれば,ベルヌ条約の改正を分析の対象から外す理由はない。」(374-375頁)との述べている点が印象的できる。

*5:「寛容的利用に頼った短期的な均衡に安住し身を委ねることは問題の抜本的な解決にはならない」(375頁)との主張は、昨今の著作権法改正の議論を踏まえると、非常に考えさせられる。

*6:過去形で書いてよいのか分からないが……。

*7:そして、法の介入が必要な場合でも、特許法のような「インセンティヴ創設型」知財法の拡張の検討よりも前に、不正競争防止法の混同行為規制・デッドコピー規制のような「インセンティヴ支援型」知財法による対応を検討すべしとする。

*8:引用者注:この試行錯誤を著者は“muddling through”と称している。

*9:消尽論に関する最判平成19年11月8日民集第61巻8号2989頁、存続期間延長登録に関する最判平成23年4月28日民集第65巻3号1654頁、プロダクトバイプロセスクレームに関する最判平成27年6月5日民集第69巻4号700頁。

*10:ゆえに、本稿では第1章の論文についてはこれ以上言及しない。

*11:例えば、著者が近時提唱している「パブリック・ドメイン・アプローチ」は、「政策形成過程のバイアスに対抗するメタファやベイスラインを用いる」(487頁)ことの実践の一つと捉えられる。田村善之「際物(キワモノ)発明に関する特許権の行使に対する規律のあり方 ― 創作物アプローチ vs. パブリック・ドメイン・アプローチ ―」別冊パテント22号(2019)1頁以下の末尾で言及されている食品用途特許は、政策形成過程に少数派バイアスが働いた典型例であろう。