特許法の八衢

初学者から見た『標準 特許法』

2023-12-16追記

本稿は、『標準 特許法』第7版に対するものであるが、第8*1では、本稿で指摘した事項の多くが修正されていることを確認した。

2023-12-16追記ここまで。

はじめに

本書 高林龍『標準 特許法〔第7版〕』(有斐閣,2020)は、2002年の初版刊行以来、3年ごとに改訂を重ねている*2特許法解説書の最新版である*3 *4

入門書に分類される本書であるが、私の感想を率直に述べると、本書を特許法入門者が一人で読むのはお勧めしない。以下、この理由を含め、本書の簡単な紹介を行なう。あくまでいち特許法初学者から見たものである点にご注意願いたい。

本書の主な特徴

内容面および形式面について、本書と想定読者が重なる特許法入門書*5と比較した本書の特徴は主に以下のものであると考える。

  1. 著者である高林教授の見解が色濃く示されている
  2. 米国法制への言及が多い
  3. 図表が少ない
  4. 「本文より小さな活字で書かれている部分」が存在する

第1の点は、単著ならではの特徴である。改訂を重なるごとに、「高林色」が濃くなっている感がある*6。高林教授の見解が少数説の場合もある*7が、そのような場合は通説ではない旨が(概ね)書かれているため、入門者にとっても大きな問題とはならないであろう。なお、本書に文献引用は多くないが、高林教授の論文については多数引用されているため、高林特許法学の入り口として本書は最適である*8

第2の点は、高林教授が米国で在外研究を行なっていたことに由来するものと思われる。日本法制を考える上でも米国法制は無視し得ない存在であるため(入門書でここまで述べる必要があるかはさておき)有用な情報であろう。もっとも、全ての事項について米国法制への言及があるわけではない*9ため、やや中途半端な印象は否めない。

第3の点について、一般の法学書と比べると本書の図表の数は多いが、こと特許法入門書については図表を多用したものが多いため、本書はむしろ図表が少ないとの評価になるように思われる。したがって、本書の読みやすさは、他の入門書に比べ、文章での説明内容に一層依存することになる。

第4の点については、項をあらためて述べる。

「本文より小さな活字で書かれている部分」

「本文より小さな活字で書かれている部分」とは何かを示すために、まず本書247-248頁をレイアウトごと引用する(スキャンが下手なのはご容赦を)。

本書247-248頁

上図右側の「*1」以降の部分が「本文より小さな活字で書かれている部分」である。このような部分につき、本書では次の説明をしている。

「本文より小さな活字で書かれている部分も,できるだけ飛ばさずに読んでもらいたい。本書ではその部分が非常に多い。ここに書いてあるのは,いわゆる注ではなく,用語の解説であったり,誤解しやすい点についての指摘であったり,そこで説明しているのが全体の中でどこに位置づけられるものであるの説明であったりする。また,本文で「前述」「後述」とあるときに,この部分を指していることも少なくない。すくなくとも最初は,読み飛ばさないことを強く勧める。
(xii-xiii頁;強調は引用者)

私には、この「本文より小さな活字で書かれている部分」(以下、小活字部分)が入門者にとって本書を分かりにくくしているように感じられる。
このことを上記で引用した247-248頁を例に説明しよう。ここでは明細書等の補正可能な時期と補正可能な範囲との関係が示されているところ、この関係はただでさえ複雑である*10にも拘わらず、説明が本文と小活字部分とに分かれて記載されている。そのため、補正可能な時期と範囲との関係を把握するためには本文と小活字部分とを往復する必要があり*11、(その関係の概要すら把握していない)入門者が正確に理解するのは難しいのではないか。とくに「新規事項追加禁止」は補正時期を問わず課せられる要件であるのに、本文における「*1」がこの位置(「②A」の右肩および「②C」の右肩)にあることは理解の妨げになると考える。さらに、「新規事項追加禁止」は明細書等の補正における最重要要件であるのに小活字部分である248頁「*1」に書かれているため、その重要性が伝わりにくいように思われる(小活字部分は「用語の解説であったり,誤解しやすい点についての指摘であったり,そこで説明しているのが全体の中でどこに位置づけられるものであるの説明であったりする」と述べられているように、あくまでも補足的な説明という建前である)。少なくとも「新規事項追加禁止」(248頁「*1」の第1文の内容)については、本文で説明したほうがよいのではないか。

小活字部分についてもう一例を示すため、本書267頁を以下に引用する。

本書267頁
この267頁「*1」では、訂正審判の請求可能時期と無効審判との関係が説明されているが、この点については何度も法改正がなされているところ、現行法のみならず、改正の経緯も逐一述べられている(その結果、ほぼ1ページにわたる記載となっている)。改正経緯はもちろん重要であるが、入門者にとってまずは(本書では267頁「*1」の最終段落に書かれている)現行法の理解が重要であろう。そのため、本文で現行法の説明を行ない、法改正の経緯については一般的な「注」により説明を行なうほうが、入門者には分かりやすいのではなかろうか。

このように、小活字部分には、「用語の解説であったり,誤解しやすい点についての指摘であったり,そこで説明しているのが全体の中でどこに位置づけられるものであるの説明であったりする」もの以上の、極めて重要なことが書かれている場合もあれば、重要性の低いものが書かれている場合もある。こうした各々重要性の異なる小活字部分について、それぞれの重要性を入門者が独力で見極め、軽重をつけて読むのは難しい。それゆえ、私は「本書を特許法入門者が一人で読むのはお勧めしない」との感想を抱いたのである。

蛇足

最後に、蛇足であろうが、同じような疑問を持つかたもいらっしゃるかも知れないと思い、ごく基本的な事項を説明しているにも拘わらず、理解しがたい本書の記載を引用する。

なお,先願と後願が同一人による出願である場合には拡大先願に該当しないし,同日出願の場合には拡大先願とならないことや,その範囲が出願当初の明細書,特許請求の範囲と図面に限られている点でも,先願(特許39条)と異なっている。また,拡大先願は公知の擬制とも呼ばれるが,先願の特許請求の範囲ではなく明細書にのみ記載された発明は,後願に対する公知技術として進歩性有無の判断材料となるものではない点で公知と異なっていることにも注意しておく必要がある。
(66頁;強調は引用者)

第1文は、29条の2と39条との違いを述べているが、29条の2について「その範囲が出願当初の明細書,特許請求の範囲と図面に限られている」と述べている点が理解できない。39条については先願の(確定した)クレームのみが後願排除効を持つ一方、29条の2については先願の当初明細書・クレーム・図面について後願排除効を持つ。すなわち、29条の2のほうが後願を排除できる範囲が広いのである。にも拘わらず「限られている」と消極的な表現を用いている理由が分からない。

また、第2文は、29条の2における先願に記載された内容は、後願発明の進歩性判断の材料とならないことが述べられているが、「先願の特許請求の範囲ではなく明細書にのみ記載された発明」と、特許請求の範囲(クレーム)を特別視して、先願のクレームに記載の発明は進歩性判断の材料となりうると読める表現をしている理由も不明である。

更新履歴

  • 2021-01-04 公開
  • 2021-05-26 誤記修正
  • 2023-12-16 冒頭に第8版についての言及追記

*1:奥付では、2023年12月18日 第1刷発行。

*2:奥付に記載された第1刷発行日はどの版も「12月18日」である。この日の意味については「初版あとがき」(353頁)参照。

*3:第6版から第7版への改訂に際し、法改正に伴う記述や新たな裁判例が追加されているのはもちろん、消尽の解説が第1章「特許権の概要」(の「特許権の効力」の節)から第2章「特許権侵害」に移る(185頁以下)、「複数関与者による特許権侵害」という節が第2章に加わる(182頁以下)等、構成もいくぶん変更されている。また、均等論を説明するための素材として初版以来掲載されていた「生海苔の異物分離除去装置事件」に代わり「中空ゴルフクラブヘッド事件」が採用された。さらに、旧版と新版とを子細に比較すると、追加・修正されている文章が多くある。

*4:初版から第6版までのカバーの肌触りは少しざらつきがあり特徴的なものであったが、本第7版ではつるりとしたものになってしまった。残念である。

*5:例えば、茶園成樹編『特許法〔第2版〕』(有斐閣,2017)、島並良ほか『特許法入門』(有斐閣,2014)。

*6:例えば、「リパーゼ事件最二小判の重要性は減殺しており」(148頁)との記載は旧版(第6版)にはなかった。なお、この追記は高林教授が小泉直樹・田村善之編『特許判例百選〔第5版〕』(有斐閣,2019)でリパーゼ事件最判を担当した(118頁以下)ことによるものかも知れない。高林龍ほか「編者が語る知的財産法の実務と理論の10年」高林龍ほか編『年報知的財産法2020-2021』(日本評論社,2020)52頁[高林龍発言]も参照。

*7:例えば、融通性のある文言解釈論(149頁以下)や間接侵害につき“完全な”従属説を採っている点(176頁以下)。

*8:本書初版の書評である、田村善之「高林龍『標準特許法』」法学教室276号(2003)49頁も参照。

*9:例えば、プロダクト・バイ・プロセス・クレームに関して(最二小判平成27年6月5日(平成24年(受)2658号)民集69巻4号904頁の補足意見でも言及された)Abbott v. Sandoz, 566 F.3d 1282 (Fed. Cir. 2009) (en banc)への言及はなく、また、複数関与者による特許権侵害に関してAkamai Technologies v. Limelight Networks, 797 F.3d 1020 (Fed. Cir. 2015) (en banc)への言及はない。

*10:複雑さ故、茶園成樹編・前掲および島並良ほか・前掲の両者は、この関係につき、文章による説明に加え、図表による説明を行なっている。前者につき116頁および121頁[立花顕治]、後者につき116頁[島並良]。

*11:付言すると、書籍において247頁と248頁とは見開きの関係にないため、両ページを同時に参照することはできない(ページをめくりながら参照する必要がある)。