本稿の目的
中山信弘「特許法における過失の推定」ジュリスト1600号(2024)110頁以下(以下、中山論文)は、特許法103条「他人の特許権又は専用実施権を侵害した者は、その侵害の行為について過失があつたものと推定する。」の現行の解釈について、問題提起したものである。
本稿の目的は、中山論文に対して、私の感じた素朴な疑問を記すことにある。
中山論文の要旨
中山論文の要旨を伝えるために、その一部を引用する。
「103条が過失推定規定を設けているということは,裏から見れば被疑侵害者に特許の調査義務を課したものである。しかしその調査義務を余りに厳しく解釈すると,被疑侵害者にとってはビジネス上過度な負担となり,実質上の無過失責任を定めたものと等しくなってしまう。被疑侵害者に過大な調査義務を課すと,合理的なリスク判断の前提が失われ,事業活動が過度に萎縮してしまう虞がある。過失推定の覆滅を認めるべきか否かの決定は,健全な取引通念を踏まえて通常の行為者に不当に過大な負担を課すことにならないか,という点を慎重に見極めた上での規範的な判断となるべきである。そうでないと事実上営業の自由を侵すことになり,特許法の目的である産業の発展に逆行し,近代法の大原則に悖る結果となりかねないからである。」(111頁)
「特許の調査義務とは,ビジネス上の常識から見て過大な負担とならないような範囲での義務を指し,無制限に費用と時間をつぎ込んでまでの調査義務を課すことを意味しない。103条がある以上,被疑侵害者に過失がないという反証は被疑侵害者が負うことになるが,推定の覆滅をいたずらに厳しく解すべきではなく,前述の「しいたけ事件」判決*1のように,被疑侵害者の置かれている事情を勘案の上,当業者を基準に被疑侵害者の調査義務のレベルを判断すべきであり,過失推定の覆滅が認められる場合があって当然である。つまり当該被疑侵害者の置かれている状況において,当業者にとって不当に過度とはならない程度の調査義務を果たしたのかという点が問題となろう。」(113頁)
「被疑侵害物を購入して単に業として使用や譲渡等をしていた者に対して過大な調査義務を課すことが妥当でない場合も多い。例えば法律事務所・特許事務所・裁判所・官庁等がパソコンを購入して業として使用することは通常のことであるが,それを購入する際にパソコンに含まれている多数の特許の調査をすることは通常考えられない。当該パソコンに特許権侵害品の含まれていることが判明した場合に,裁判所や法律事務所や役所に過失推定の覆滅を認めず,損害賠償義務を負わせることは無過失責任を負わされるに事実上等しく妥当ではあるまい。」(113頁)
「103条のような過失推定の規定を設けることにはそれなりに合理性があると言えるが,問題は103条をあたかも「みなし規定」のように解釈している実務にある。」(114頁)
疑問
中山論文の述べる問題意識、「被疑侵害者に過大な調査義務を課すと,合理的なリスク判断の前提が失われ,事業活動が過度に萎縮してしまう虞がある」(111頁)は大いに理解できる。しかし、この問題に対して、特許法103条の解釈を変えたところで、ほとんど解決にならないのではないか。
なぜならば、特許法103条を柔軟に(なるべく推定が覆滅するように)解釈したとしても、特許発明の技術的範囲に属する可能性のある物(以下、便宜的に「特許権侵害物」ともいう)を使用等する事業者には次の三つのリスクが残り、事業者の特許調査義務の緩和につながらないと考えられるからである。
(1) 警告状受領後における過失推定の覆滅困難性
特許法103条をなるべく推定が覆滅するように解釈したとしても、権利者からの警告状を被疑侵害者が受領した後についてまで、過失推定を覆滅することは困難である。
現に、中山論文の言及する「しいたけ事件」でも、第一審判決および控訴審判決ともに、被疑侵害者が警告状を受領した後については、過失推定の覆滅を否定している(過失推定を認めている)。
その結果、警告状受領後も特許発明の技術的範囲に属する物を使用し続けると、警告状受領後の行為について損害賠償義務が発生する。もちろん、警告状受領前を含む特許権侵害行為全てについて損害賠償義務が発生する場合よりはリスクが低減するが、残存するリスクが事業者にとって甘受できる範囲にあるとは考えにくい。
蛇足 ― 「業として」要件の再考
以上から、特許法103条の解釈を現行のものから変えることは、「被疑侵害者に過大な調査義務を課すと,合理的なリスク判断の前提が失われ,事業活動が過度に萎縮してしまう虞がある」という問題に対する解決策として、無意味ではないにしても、十分な効果を期待できない、と私には思える。
ところで、(間接侵害を含む)特許権侵害となる行為は、「業として」のものに限られる(特許法68条・101条)。
この「業として」要件は、現在、緩やかに解釈されている(例えば、公共事業における実施も「業として」の実施と解されている*7)。
しかし、「業として」要件を事業者に(社会通念上相当な範囲で)特許調査義務を課する趣旨と考えることで、例えば、法律事務所がコンピュータを購入して使用する場合には、法律事務所がコンピュータについてまで特許調査義務を負うことは社会通念上相当とは言いがたいことを理由に、その使用行為は「業として」のものではない(=特許権侵害を構成しない)、と解釈できないだろうか。
このように「業として」を解することができれば、特許法103条の解釈変更よりも効果的に、中山論文の述べる問題を解決するができるのだが……。
変更履歴
- 2024-08-15 公開
- 2024-08-31 『特許庁政策推進懇談会中間整理』(2024)を注に追記
*1:引用者注:種苗法35条による過失推定について覆滅を認めた、東京地判平成30年6月8日(平成26年(ワ)第27733号)。なお、中山論文では言及されていないが、控訴審判決である知財高判平成31年3月6日(平成30年(ネ)第10053号等)でも、本地裁判決を引用し、過失推定の覆滅を認めている。
*2:中山信弘『特許法〔第5版〕』(2023,弘文堂)452~453頁。
*4:なお、不当利得の額の算定において、特許法102条3項の算定と同様の「侵害プレミアム」(特許法102条4項)が認められるかは不明である。
*5:もっとも、差止請求に「故意又は過失」が必要だとしても、遅くとも訴状送達時点で被疑侵害者の過失が認められよう。
*6:島並良「特許権侵害における過失の役割」別冊パテント24号(2020)45頁は、「特許権侵害については一般不法行為とは異なり,差止め(行為停止予防)責任と刑事責任というさらに峻烈な法的効果が用意されている。特許権侵害がもたらす複数の帰責は,全体として加害者・被害者双方の行動に影響を与えるのであるから,その一部である損害賠償責任のみを切り取って望ましい制度のあり方を設計することの意義は限られよう(37)。」「(37)特に,同じく無過失での帰責が認められ(100条1項),また侵害の行為に供した設備の除去等までも認められる(同条2 項)差止め(行為停止予防)責任との抑止効果の競合は重要である。」と述べる。
*7:中山信弘『特許法〔第5版〕』(2023,弘文堂)348頁。