特許法の八衢

製法発明につき、104条を適用して、製法を特定しない物に差止めを認めた事案 ― 知財高判令和5年12月27日(令和4年(ネ)第10055号)

はじめに

本件判決 知財高判令和5年12月27日(令和4年(ネ)第10055号)は、構成要件充足性判断や102条2項の損害額算定に関する判示にも興味深い点があるが、本稿では、別の点について述べたい。

以下、「雑感」の項を除き、判決の引用である*1

なお、本件の原判決(東京地判令和4年4月8日(平成30年(ワ)第36232号))は、裁判所Webページに掲載されておらず、私は原判決の内容を把握しないまま、本稿を書いていることをお断りしておく。

本件発明(本件特許権の請求項5に係る発明)

*2 特定加熱食肉製品をスライスする工程と、

B スライスされた特定加熱食肉製品における還元型ミオグロビンをオキシミオグロビンに酸素化する工程と、

C 当該酸素化する工程の後、炭酸ガス及び/又は窒素ガスによるガス置換をすることなく、スライスされた特定加熱食肉製品を非鉄系脱酸素材とともにガスバリア性を有する包材に密封する工程とを含み、

D 上記スライスされた上記特定加熱食肉製品は、ガスバリア性を有する包材に密封された状態、且つ、当該包材内の酸素濃度が検出限界以下の条件下で、全ミオグロビン量を100%としたときにオキシミオグロビンが12%以上、メトミオグロビンが50%未満、還元型ミオグロビンが34%以上となる割合(以下『本件ミオグロビン割合』といい、3種のミオグロビンが占める割合を『ミオグロビン割合』という。)*3となっていること

E (構成要件A~D)*4を特徴とする特定加熱食肉製品の製造方法であって、

F 特定加熱食肉製品がローストビーフであることを特徴とする特定加熱食肉製品の製造方法。

経緯

本件は、原審において、発明の名称を「特定加熱食肉製品、特定加熱食肉製品の製造方法及び特定加熱食肉製品の保存方法」とする特許権(特許第5192595号。以下「本件特許権」といい、その特許を「本件特許」という。……)を有する控訴人シンコウフーズから本件特許の独占的通常実施権を付与された控訴人スターゼンが、被控訴人が製造、販売している原判決別紙被控訴人各製品目録記載のローストビーフ(以下、同目録記載1の製品を「被控訴人製品1」、同目録記載2の製品を「被控訴人製品2」、同目録記載3の製品を「被控訴人製品3」といい、これらを総称して「被控訴人各製品」という。)が同特許権の請求項1の発明に係る特許発明の技術的範囲に属するとして、被控訴人に対し、特許法100条1項、2項に基づき、同特許権に係る方法で製造される被控訴人各製品の製造、販売の差止め及び廃棄を求めるとともに、民法709条及び特許法102条2項に基づき、……特許権侵害の損害賠償として……円及び……遅延損害金を請求する事案である。

原審が、被控訴人各製品の製造方法(被控訴人方法)は本件特許の請求項1に係る発明の各構成要件を基本的に充足するものの、同発明に係る特許は……特許無効審判により無効とされるべき事由があるとして、控訴人らの請求をいずれも棄却したところ、控訴人らがその取消しを求めて本件控訴を提起した。

控訴人らは、当審において、本件特許の請求項5の発明に係る特許に基づく請求を追加する訴えの変更をし……た。

主文

1 原判決を取り消す。

2 被控訴人は、原判決別紙被控訴人各製品目録記載の各製品を製造、販売してはならない。

3 被控訴人は、前項の各製品を廃棄せよ。

4 被控訴人は、原判決別紙被控訴人方法目録記載の各方法を使用してはならない。

5 被控訴人は、控訴人スターゼンに対し、……金員を支払え。

[引用者注:主文につき以下略]

構成要件充足性

本件発明について(原判決第3の1(原判決27頁20行目ないし同39頁18行目))、被控訴人各製品は、構成要件B(……)を充足するか(争点1-1)について(原判決第3の2(……))、被控訴人各製品は、構成要件C(……)を充足するか(争点1-2)について(原判決第3の3(……))、被控訴人各製品は、構成要件D(……)を充足するか(争点1-3)について(原判決第3の4(……))……は、当審における当事者の主張も踏まえ、次のとおり補正するほかは、原判決の記載を引用する。

……

当審における争点1についての当事者の主な補充主張に対する判断は、以下のとおりである。

……被控訴人は……被控訴人各製品は構成要件Bを充足しない旨を主張する。……被控訴人方法が構成要件Bを充足するかを検討すると、……空気下で行われる②から⑥の工程において、密封包装が完了するまで2分30秒程度であることが認められるところ……前記「2分30秒程度」空気下に曝す工程は、酸素化の工程に必要な処理時間である「数分」に該当し、「酸素化する工程」の条件を満たすものと認められるから、構成要件Bを充足するということができる。……したがって、被控訴人の上記主張は採用することができない。

……被控訴人は……被控訴人各製品は構成要件Cを充足しない旨を主張する。……したがって、被控訴人の上記主張は採用することができない。

……被控訴人は……被控訴人各製品は構成要件Dを充足しない旨を主張する。……したがって、被控訴人の上記主張は採用することができない。

特許無効性の判断

(以下は、判決文からの引用ではなく、知財高裁Webページに掲載された「要旨」からの引用。)

本件特許は特許無効審判により無効にされるべきか(争点2)について、無効理由1(公知発明(鎌倉山パストラミビーフ)に基づく進歩性欠如)(争点2-1)、無効理由2(公知発明(DCSローストビーフ)に基づく進歩性欠如)(争点2-2)、無効理由3(乙174(特公昭59-15014号公報)に基づく進歩性欠如)(争点2-3)、無効理由4(乙175(特開平9-172949号公報)に基づく進歩性欠如)(争点2-4)、無効理由5(乙176(特公昭58-29069号公報)に基づく進歩性欠如)(争点2-5)、無効理由6(明確性要件違反)(争点2-6)、無効理由7(実施可能要件違反)(争点2-7)、無効理由8(サポート要件違反)(争点2-8)はいずれも認められない。

(「要旨」からの引用はここまで。)

差止めの対象

被控訴人は、補正の上で引用した原判決第2の4(2)のとおり、生産方法を特定しない請求の趣旨は過剰な差止めを求めるものであり、又、被控訴人各製品は特許法104条の推定を受けない旨を主張する。

しかし、これまで検討したとおり、本件発明に係る方法により生産された物が本件特許の出願前に公然知られていた事実は認めることができないから、被控訴人各製品は、特許法104条により、本件発明の方法により生産された物と推定される。

そうすると、既に検討したとおり、被控訴人方法により製造された被控訴人各製品は本件発明の構成要件を全て充足するから、被控訴人に対し、本件発明の特許に係る方法の使用の差止め(主文第4項)のほか、被控訴人各製品につき、その製造及び販売の差止め(主文第2項)を命ずることができるとともに、同法100条2項に定める侵害の行為により生じた物として、その廃棄(主文第3項)を命ずることができる。

雑感

まず、些事かも知れないが、本判決における、不正確な用語法を指摘したい。

ここで、本件発明は、物を生産する方法の発明である。したがって、構成要件充足性を判断する対象は、「物」ではなく、「方法」のはずである。

すなわち、物を生産する方法の(特許)発明については、被疑侵害者の行なった「方法」について特許発明の構成要件充足性を見て、その「方法」が特許発明の技術的範囲(70条1項)に属するか否かを、まず判断する。そして、その「方法」が特許発明の技術的範囲に属すると判断された場合に、当該「方法」の使用行為のみならず、その「方法」により生産した「物」の使用等も、特許発明の「実施」行為となる(2条3項3号)。

にも拘わらず、本判決は、「被控訴人各製品は、構成要件B(……)を充足するか」(強調は引用者;以下同)等と、被控訴人各製品(=「物」)について構成要件充足性を判断しているかのような記載が目立つ。「被控訴人方法により製造された被控訴人各製品は本件発明の構成要件を全て充足する」との記載もあるが、これも、特許法の条文に照らし正しい表現とは言えないだろう。

一方で、本判決には「被控訴人方法が構成要件Bを充足するか」といった適切な表現もあることから、裁判所は、不正確なことを理解しつつ、“便宜的”な表現として(ただし、そのことについて断らず)「製品は、構成要件B(……)を充足するか」等と書いているのかも知れないが、裁判所がそのような判決文を作成することが適切なのか、疑問がある。

なお、本判決と同裁判体により同日に言い渡された令和4年(ネ)第10066号事件判決(以下、別訴事件判決)は、本判決と同一の特許発明に係る特許権の侵害が問題となり、被疑侵害者(被控訴人)も同一で、被疑侵害製品は(本判決とは)「内容量の異なるスライスしたローストビーフ製品」である事案であるが、別訴事件判決では正しく「被控訴人方法は、構成要件B(……)を充足するか」等と判示されている。

さて、以上は前置きで、ここから、本稿で特に述べたいことを記す。それは、上記「差止めの対象」項で引用した判示についてである。以下、その判示を再引用しつつ、愚見を述べる。

被控訴人は、補正の上で引用した原判決第2の4(2)のとおり、生産方法を特定しない請求の趣旨は過剰な差止めを求めるものであり、又、被控訴人各製品は特許法104条の推定を受けない旨を主張する。

原告=控訴人(ら)は、「原判決別紙被控訴人各製品目録記載」の各製品の製造等の差止めを請求している。「原判決別紙被控訴人各製品目録記載」の内容は不明であるが、おそらく被控訴人が製造販売しているローストビーフの商品名が記載されているのみで、生産方法についての言及はないであろう。そこで、被控訴人(被疑侵害者)は過剰差止めと主張している。

物を生産する方法の発明につき、生産方法を特定せず物のみを特定して、差止めが認められるか、というのは古くから論じられてきた。そして、104条の適用があれば、物のみの特定が認められるという見解もある*5。上記の被控訴人主張は、これを受けたものであろう。

104条の規定を挙げておこう:

第104条 物を生産する方法の発明について特許がされている場合において、その物が特許出願前に日本国内において公然知られた物でないときは、その物と同一の物は、その方法により生産したものと推定する。

この規定は、化学物質自体の特許保護が認められなかった時代は、物質発明の保護を補完するものとして重要な意味があったものの、物質特許が認められた現在においては、その合理性が疑問視されている*6

本判決の再引用に戻る:

しかし、これまで検討したとおり、本件発明に係る方法により生産された物が本件特許の出願前に公然知られていた事実は認めることができないから、被控訴人各製品は、特許法104条により、本件発明の方法により生産された物と推定される。

まず「これまで検討したとおり、本件発明に係る方法により生産された物が本件特許の出願前に公然知られていた事実は認めることができない」の、「これまで検討」というのは何を指すのか不明である。たしかに、本判決は、本件発明すなわち生産方法について、(被疑侵害者の挙げた)公知発明から進歩性欠如しているとは言えない、とは判断している。それはあくまでも「方法」について進歩性を判断したに過ぎず、「方法により生産されたが本件特許の出願前に公然知られていた」を判断したわけではない。生産方法は新規であっても、その結果物は新規ではないことは、いくらでもあり得る。

さらによく分からないのは、「被控訴人各製品は、特許法104条により、本件発明の方法により生産された物と推定される。」との判示である。

先述した用語法の問題はあるにしても、判決ではこれまで、被控訴人の行なった「方法」の特許発明の構成要件充足性を判断してきたはずである。そのことは、既に引用した「被控訴人方法が構成要件Bを充足するかを検討すると、……空気下で行われる②から⑥の工程において、密封包装が完了するまで2分30秒程度であることが認められるところ……前記「2分30秒程度」空気下に曝す工程は、酸素化の工程に必要な処理時間である「数分」に該当し、「酸素化する工程」の条件を満たすものと認められるから、構成要件Bを充足するということができる」との判示からも分かる。つまり、これまでの検討から、104条による「推定」を用いることなく、「被控訴人各製品」は「本件発明の方法により生産された物」と判断されたはずである。

このことは、上述した別訴事件判決からも裏付けられる。この別訴事件では、差止請求はなされておらず、損害賠償請求しかなされていなかったところ、104条の適用なく、(本判決とは内容量の異なるスライスしたローストビーフ製品である)「被控訴人製品」の販売について損害賠償請求が認められた。

おそらく、問題は、次の点にある。

「被控訴人各製品」は次の2種類に分かれるのだ。一つは〈既に作られた製品〉、もう一つは〈将来作られる(であろう)製品〉、である。

そして、〈既に作られた製品〉は特許方法で生産された、と裁判所は判断した(判断できた)。他方、〈将来作られる(であろう)製品〉は、(名称は〈既に作られた製品〉と同じだが)生産方法が未確定なので、特許方法で生産されたと判断することはできない。しかし、〈将来作られる(であろう)製品〉を差止の対象としなければならない。

この問題を解決するために、裁判所は、被控訴人の主張もあって、104条を利用した、ということなのだろう。

しかし、上述した104条の合理性への疑問を踏まえると、本件において、104条の利用が適切な解決法であったのか、疑問がある*7

ところで、「雑感」の冒頭、用語法の誤りを指摘した。しかし、これは単なる用語法の誤りというよりも、「被控訴人各製品」という一つの用語で、〈既に作られた製品〉と〈将来作られる(であろう)製品〉との両者を扱うことになった結果、裁判所(あるいは当事者も含めてかも知れない)が混乱したことを示すものなのかも知れない。差止請求のなされなかった別訴事件判決では、正しい用語法が用いられていることは、これを示唆しているようにも感じられる。

更新履歴

  • 2024-02-18 公開

*1:ただし、項名は私によるものであり、また、後述するように「特許無効性の判断」の内容は「要旨」からの引用である。

*2:引用者注:「A」などの英字は判決で付されたもので、特許請求の範囲に記載はない。

*3:引用者注:「(以下……という。)」は判決で付されたもので、特許請求の範囲に記載はない。

*4:引用者注:「(構成要件A~D)」は判決で付されたもので、特許請求の範囲に記載はない。

*5:例えば、飯村敏明「侵害訴訟の訴訟物と請求の趣旨」西田美昭ほか編『民事弁護と裁判実務 8 知的財産権』(1998,ぎょうせい)239頁以下。

*6:近時の論考として、吉田広志「特許法104条の生産方法の推定に関する現代的解釈」パテント76巻1号(2023)90頁、前田健「生産方法の推定規定の現代的意義」清水節先生古稀記念『多様化する知的財産権訴訟の未来へ』(2023,日本加除出版)437頁。

*7:なお、田村善之「特許権侵害に対する差止め」判例タイムズ1062号(2001)74頁は「104条の推定が適用される場合に限り方法Mによる特定を要しないとする見解もあるが……,やや厳格に過ぎるようにおもわれる」と述べる。

「printed publication」該当性について判断された事案 ― Weber v. Provisur Technologies (Fed. Cir. 2024)

はじめに

本稿の目的は、実務において重要と思われる、最近のCAFC判決 Weber, Inc. v. Provisur Technologies, Inc. (Fed. Cir. Feb. 8, 2024)*1の紹介である。

本件では、旧特許法(Pre-AIA 35 USC)102条の「printed publication」に該当するか否かが、争点の一つとなった。以下、この争点に絞って述べる。

経緯と結論

原告は、食品工場などで使われる、大型のスライサーを販売している企業である。

原告は、(競合である)被告から、2件の特許権に基づく特許権侵害訴訟を提起されたため、この2件の特許権に係る特許が無効であるとして、IPRを請求した。

これについてPTABは特許維持の審決(final written decision)を下した*2ため、これを不服として、原告がCAFCへ上訴したのが本件である。

ここで、IPR請求において原告は、原告製品のマニュアルを、特許無効の根拠となる先行技術文献(Pre-AIA 102条の「printed publication」)の一つとして挙げていたが、PTABは最終的に*3当該マニュアルは「printed publication」に当たらないと判断した*4

しかし、CAFCは、このPTAB判断を覆し(reverse)、当該マニュアルの「printed publication」該当性を認めた。

PTAB判断

PTABは、大要、次のように述べた:

Cordis Corp. v. Boston Scientific Corp., 561 F.3d 1319 (Fed. Cir. 2009)は、「(文書の)配布が、限られた数の者(limited number of entities)に対してのみ行われる場合、守秘義務に関する拘束力のある合意(binding agreement of confidentiality)は、(その文書への)公衆アクセス性(public accessibility)についての認定を覆すことができる(may defeat)」と判示している。

原告製品のマニュアルが実際に配布されたのは、10社に止まり、これは「限られた数」を超えるとは言えない。

そして、本マニュアルに記載された著作権に関する表示には、〈ユーザーの社内利用を除き、原告の書面による許可なく、マニュアルを複製等してはならない〉旨が記載されており、さらに、原告製品の利用規約における知的財産権条項にも、〈ユーザーへ提供された全ての文書について、その著作権および関連する権利は原告に帰属し、原告の合意があった場合に限り、ユーザーは第三者へ開示できる〉旨が記載されている。したがって、本マニュアルは守秘義務の対象である。

よって、原告製品のマニュアルは、102条の「printed publication」に当たらない*5

CAFC判断

CAFCは、おおむね、以下のように述べ、PTABの判断を覆した:

102条における「printed publication」とは、「その技術に関心のある公衆が十分にアクセス可能な(sufficiently accessible to the public interested in the art)」文献である。そして、文献が「printed publication」であるかどうかの試金石は、公衆アクセス性(public accessibility)であり、公衆アクセス性の基準は、関連する公衆のうち関心のある者(interested members of the relevant public)が合理的な努力(reasonable diligence)によってその文献を見つけることができるかどうかである。

PTABが、Cordis判決の枠組みで、本件を判断したのは不適切である。Cordisの事案で問題となった文献は、発明者の研究を記した、2つの学術的なモノグラフであり、それらは、大学や病院の同僚と、その技術の商業化に関心を持つ2つの企業にのみ、配布された。Cordisの事案において、我々CAFCは、このような学術的慣習(academic norm)によって、開示情報は秘密保持されるとの期待がもたらされた、という明確な証拠があると判断した。また、Cordisの事案において、営利主体が、通常、そのような文書の存在を公開し、また公開要求に応じるであろうことを示す証拠もなかった。本件は、Cordisの事案とは、明確に区別される。原告のマニュアルは、原告製品の組立・使用・清掃・メンテナンス方法の提供のため、関心のある公衆(interested public)に配布されることを目的として作成されたものである。このマニュアルは、Cordisの事案のものとは、対照をなす。

本件においては、証拠により、本マニュアルは、関連する公衆のうち関心のある者(interested members of the relevant public)が合理的な努力(reasonable diligence)によりアクセス可能であったことが示されている。例えば、原告の従業員は、原告製品を購入すればマニュアルを入手できた旨を証言しており、これは、原告と顧客とのメールのやり取りなどでも裏付けられる。また、特定の展示会や原告ショールームで、本マニュアルはアクセス可能であったとの証言もある。

なお、原告と被告はマニュアルが実際に何名の顧客に配布されたかを争っているが、公衆アクセス性(public accessibility)の評価にあたり、そのようなことは問題とならない。公衆アクセス性の評価において、アクセス数が決定的な要素となるわけではない。

また、被告は、〈原告製品が高価であることが、本マニュアルへの十分なアクセス性を妨げている〉と主張するが、公衆アクセス性は、一般公衆(general public)ではなく、関心ある公衆(interested public)に焦点を置いたものなので、価格は決定的な要素とならない。関心ある公衆には、高価な製品を買うことのできる営利主体も含まれるのである。

PTABが誤った結論を出した要因の一つは、本マニュアルの秘密保持性の過度な重視にある。

本マニュアルの著作権に関する表示では、内部利用のためのマニュアルの複製を認めている。また、原告は、顧客に対し、原告製品を第三者へ転売する際は、マニュアルも第三者へ渡すよう、明示的に指示している。原告による著作権の主張は、公衆アクセス性を否定するものではない。同様に、原告製品の利用規約における知的財産権条項も、マニュアルの公衆アクセス性に決定的な影響を及ばさない*6

よって、PTABによる〈本マニュアルは「printed publications」の要件を満たさないとの判断〉を覆す(vacate)。

雑感

本件で対象となった業務用製品マニュアルのように、その性質上、少数の者にしか配布がなされない文献を、新規性・非自明性否定のための先行技術として利用したい場合は、本件で示された判断基準が参考になろう。

もっとも、マニュアルにおける秘密保持に関する記載が異なるものだったら、CAFCの判断も変わっていた可能性があり*7、製品マニュアルだからといって、常に「printed publication」と認められるかと言えまい*8

ここで、本件は、旧特許法(Pre-AIA 35 USC)102条の「printed publication」に関するものであるが、現行特許法(AIA 35 USC)102条の「printed publication」にも適用される判断基準であろう*9

旧特許法と異なり、現行特許法下では、米国「外」の公然実施技術も先行技術として用いることができるようになったため、「printed publication」の重要性は若干下がっているかも知れないが、立証容易性という観点だけ見ても、「printed publication」(に記載された技術)が最も使いやすい先行技術であることに変わりはないだろう。

また、IPRにおいて無効主張に用いることのできる先行技術は、特許文献か「printed publication」に記載のものに限られる(311条(b))ことから、この点においても、「printed publication」の判断基準は重要であろう。

最後に、日本法との関係に触れる。

日本特許法29条1項3号の「頒布された刊行物」について、最二小判昭和55年7月4日(昭和53年(行ツ)第69号)民集34巻4号570頁が、「特許法29条1項3号にいう頒布された刊行物とは、公衆に対し頒布により公開することを目的として複製された文書、図画その他これに類する情報伝達媒体であつて、頒布されたものを指すところ、ここに公衆に対し頒布により公開することを目的として複製されたものであるということができるものは、必ずしも公衆の閲覧を期待してあらかじめ公衆の要求を満たすことができるとみられる相当程度の部数が原本から複製されて広く公衆に提供されているようなものに限られるとしなければならないものではなく、右原本自体が公開されて公衆の自由な閲覧に供され、かつ、その複写物が公衆からの要求に即応して遅滞なく交付される態勢が整つているならば、公衆からの要求をまつてその都度原本から複写して交付されるものであつても差し支えないと解するのが相当である。」(強調は引用者による。以下同)と判示し、さらに、最一小判昭和61年7月17日(昭和61年(行ツ)第18号)民集40巻5号961頁は、「マイクロフイルムは、それ自体公衆に交付されるものではないが、前記オーストラリア国特許明細書に記載された情報を広く公衆に伝達することを目的として複製された明細書原本の複製物であつて、この点明細書の内容を印刷した複製物となんら変わるところはなく、また、本願考案の実用新案登録出願前に、同国特許庁本庁及び支所において一般公衆による閲覧、複写の可能な状態におかれたものであつて、頒布されたものということができる」と判示した。

したがって、日本特許法29条1項3号の「頒布された刊行物」は、米国特許法の「printed publication」とほぼ同様のものと考えられる。しかし、日本法の「頒布された刊行物」は、(原本ではなく)「複製された」ものという限定が課せられている点には留意が必要かも知れない。

更新履歴

  • 2024-02-11 公開

*1:Reyna, Hughes, Starkで構成される裁判体;判決執筆はRenya判事。

*2:IPRは2つの特許権について各々請求されたので、2つの審決があるが、「printed publication」該当性の判断部分は両者で相違がないため、以下では区別しない。

*3:PTABは当初「printed publication」該当性を認めていたため、IPR審理を開始した。

*4:ただし、PTABは、決定において、仮に当該マニュアルが「printed publication」に当たるとしても、このマニュアルに、原告の主張する構成は開示されていないとも判断している。そして、このPTAB判断についても、CAFCは覆している(reverse)。

*5:正確に述べると、審決では、311条(b)の「printed publication」に当たらない、と述べている(が、本質的に102条の「printed publication」と変わらない)。

*6:原文は「The intellectual property rights clause from Weber’s terms and conditions covering sales, likewise, has no dispositive bearing on Weber’s public dissemination of operating manuals to owners after a sale has been consummated.」(強調は引用者による)となっており、意味が取りにくい(「public dissemination」と「to owners」との関係が不明瞭)が、要は、本製品販売に関する規約の知財条項はマニュアルの公衆アクセス性とは無関係である、と言いたいのだろう。

*7:Dennis Crouch「判批」Patently-O 2024-02-08は、「I wonder how the court would have ruled if the manuals distributed to customers included a stronger confidentiality expectation.」と述べている。

*8:例えば、個別受注製品のマニュアルは、関連する公衆のうち関心のある者が合理的な努力によってその文献を見つけることができるとは言えず、「printed publication」とは判断されないだろう。

*9:CAFCが引用した判例の一つJazz Pharms., Inc. v. Amneal Pharms., LLC, 895 F.3d 1347 (Fed. Cir. 2018)は、AIAに関するものであることも、現行特許法(AIA 35 USC)下でも同様の基準であることを示していると思われる。

AIを「壁打ち」に用いる時代の進歩性判断

はじめに

生成系AIの普及により、創作の場面で、AIを「壁打ち」に用いるのは、一般的になった*1

そこで、AIとの「壁打ち」の結果生まれた(生まれうる)発明(発明それ自体がAIに関係するものか否かは問わない)に対する進歩性判断*2について、雑感を記す*3

進歩性の判断枠組み

進歩性の判断枠組みについて、知財高大判平成30年4月13日(平成28年(行ケ)第10182号等)[ピリミジン誘導体]は、特許庁の審査実務を追認し、以下の一般論を述べた。

進歩性に係る要件が認められるかどうかは,特許請求の範囲に基づいて特許出願に係る発明(以下「本願発明」という。)を認定した上で,同条[引用者注:特許法29条]1項各号所定の発明と対比し,一致する点及び相違する点を認定し,相違する点が存する場合には,当業者が,出願時(……)の技術水準に基づいて,当該相違点に対応する本願発明を容易に想到することができたかどうかを判断することとなる。

このような進歩性の判断に際し,本願発明と対比すべき同条1項各号所定の発明(以下「主引用発明」といい,後記「副引用発明」と併せて「引用発明」という。)は,通常,本願発明と技術分野が関連し,当該技術分野における当業者が検討対象とする範囲内のものから選択される……。

……

主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合には,①主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆,技術分野の関連性,課題や作用・機能の共通性等を総合的に考慮して,主引用発明に副引用発明を適用して本願発明に至る動機付けがあるかどうかを判断するとともに,②適用を阻害する要因の有無,予測できない顕著な効果の有無等を併せ考慮して判断することとなる。

この判断枠組みの“大枠”――所与のものとして主引用発明があり、それに(本願発明と主引用発明との差を埋める)副引用発明を適用することが容易か否かを判断する――は、(AIを用いない場合も含め)発明創作の現実を反映していない、と考えられる*4。それにも拘わらず、実務で採用されているということは、進歩性判断の手法として、これまで、この“大枠”が一定の程度有効に機能してきた、と捉えるべきであろう。

そのように考え、自然人のみで創作した発明に対する進歩性判断手法として、“大枠”を是認するのならば、AIとの「壁打ち」の結果生まれた発明に対する進歩性判断手法としても、この“大枠”は維持されるべきであろう。“大枠”に問題があるとしても、それはAIとの「壁打ち」の結果生まれた発明固有のものではない、と考えられるからである。

動機付け・阻害要因・予測できない顕著な効果

もっとも、判断枠組みの“大枠”に、AIとの「壁打ち」の結果生まれた発明固有の問題がなくとも、判断枠組みの“細部”は、AIとの「壁打ち」の結果生まれた発明に対して*5、調整が必要かも知れない。

動機付け

第一に、副引用発明を主引用発明に適用する「動機付け」の有無の判断において、「主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆,技術分野の関連性,課題や作用・機能の共通性」の4要素のみ*6を考慮するだけで十分なのだろうか。

AIへ、主引用発明および課題を与えた上で、(主引用発明を補うような、主引用発明に適用可能な)副引用発明の提示を指示した場合*7に、AIは、(自然人と同じように)これら4要素を踏まえて、副引用発明を探すのだろうか? 仮にAIが、自然人とは全く異なる「思考」*8プロセスを経て、副引用発明を掲示するのであれば、AIの「思考」プロセスを踏まえ、動機付け判断の考慮要素を追加する必要がある。

また、この4要素のみの総合考慮を維持するとしても、少なくとも「技術分野の関連性」については、(AI利用を前提していなかった)これまでよりも、関連性があるとされる範囲が広がるであろう*9。その結果、かつて「同一技術分野論」と称され否定的に評価されていた考え方*10が、“復興”するかも知れない*11

阻害要因

第二に、「適用を阻害する要因」(阻害要因)についても、検討が必要である。

『特許・実用新案審査基準』第III部 第2章 第2節 3.2.2 (2020.12)は、「阻害要因」として、以下を例示する:

(i) 主引用発明に適用されると、主引用発明がその目的に反するものとなるような副引用発明

(ii) 主引用発明に適用されると、主引用発明が機能しなくなる副引用発明

(iii) 主引用発明がその適用を排斥しており、採用されることがあり得ないと考えられる副引用発明

(iv) 副引用発明を示す刊行物等に副引用発明と他の実施例とが記載又は掲載され、主引用発明が達成しようとする課題に関して、作用効果が他の実施例より劣る例として副引用発明が記載又は掲載されており、当業者が通常は適用を考えない副引用発明

とくに上記(iv)の「当業者が通常は適用を考えない」という文言に端的に表れているように、阻害要因は、自然人の先入観に起因するものだと考えられる。

しかし、AIに、自然人のような先入観はあるのだろうか? ないのであれば、進歩性判断にあたり、阻害要因の考慮は不要であろう。

もっとも、《AIは、副引用発明を探して、主引用発明への適用“可能性”を提示するのみであって、最終的に適用可否を判断するのは、AIではなく自然人である》として、これら阻害要因の考慮を(AI利用を前提していなかった)これまでと同様に、維持してよい、という考えも成り立ちうる。

予測できない顕著な効果

進歩性判断において、予測できない顕著な効果の有無を考慮することについて、AIとの「壁打ち」の結果生まれた発明固有の問題があるか否かについては、(上記の動機付け・阻害要因もさしたる検討ではなかったが、それ以上に)私の能力では考えることができない。

ただ、「予測できない」とされる範囲が、技術進歩によって今後ますます減っていくことは間違いなく、それを強く後押しするのがAI技術の発展なのかも知れない。

おわりに

AIの一般化によって、従来に比べ「容易に発明することができ(る)」(特許法29条2項)ようになった(少なくとも近い将来そうなる)ことは疑いない。してみれば、これまでよりも進歩性のハードルを上げるべし――特許を与えにくくすべし――というのが、自然な帰結であろう*12

AI利用が当然視される現在、問題はすでに、進歩性の判断を変えるべきか否かではなく、どのように変えるべきか、に移行している。

USPTOの対応 (2024-02-14追記)

USPTOは、2024年2月13日(現地時間)、「Inventorship Guidance for AI-Assisted Inventions」、および、2つの事例を公表し、パブリックコメントの募集を開始した*13

本ガイダンスの概要については、すでに、次の2つの日本語解説がある:

このガイダンスは、AIを利用して生まれた発明*14(本稿で述べた“AIとの「壁打ち」の結果生まれた発明”を含む*15)の発明者適格性(inventorship)について述べたものだが、以下の興味深い記述もある:

The USPTO recognizes that AI gives rise to other questions for the patent system besides inventorship, such as subject matter eligibility, obviousness, and enablement.

(snip)

The USPTO has been exploring issues at the intersection of AI and IP and is planning to continue to engage with our stakeholders as we move forward, issuing guidance as appropriate.

上記の拙訳:

USPTOは、AIが、発明者適格性以外にも、特許適格性・自明性・実施可能性などの問題を、特許制度に生じさせることを認識している。

(中略)

USPTOは、AIと知的財産との交錯における課題を探求し、適宜ガイダンスを発行しながら、今後もステークホルダーとの対話を続ける予定である。

USPTOも、本稿で述べたような問題意識を持っているように思われる。今後も、USPTOの対応から目が離せない。

更新履歴

  • 2024-01-28 公開
  • 2024-02-14 「USPTOの対応」を追記

*1:知的財産戦略本部「AI時代の知的財産権検討会(第5回)」「資料1 残された論点等(討議用)」(2024年1月26日)29頁には、「AI技術の活用事例として、例えば、候補物質の絞り込み作業の支援業務などが挙げられるが、その利用は試行錯誤(壁打ち)の段階」と述べられている。

*2:発明の進歩性判断において、その発明が実際にAIを利用して生まれたのか否かを考えることに意味はなく、AIを利用してもなお、容易に発明することができないもののみに、進歩性要件充足を認めるべきである。中山一郎・後掲204頁以下参照。

*3:先行研究として、中山一郎「AIと進歩性」田村善之編著『知財とパブリック・ドメイン 第1巻:特許法篇』(2023,勁草書房)175頁[初出:別冊パテント22号(2019)179頁]、潮海久雄「特許法における進歩性要件の現代的課題」特許研究70号(2020)等がある。

*4:塚原朋一「特許の進歩性判断の構造について」片山英二先生還暦記念『知的財産法の新しい流れ』(2010,青林書院)421頁以下参照。

*5:そして、全ての発明は、AIとの「壁打ち」の結果としても生まれうるのであるから、結局のところ、全ての発明に対して。

*6:[ピリミジン誘導体]知財高裁大合議判決では、「引用発明又は副引用発明の内容中の示唆,技術分野の関連性,課題や作用・機能の共通性を総合的に考慮」と述べてられているが、「等」の詳細は不明である。『特許・実用新案審査基準』第III部 第2章 第2節 3.1.1 (2020.12)では、「動機付けとなり得る観点」として、「(1) 技術分野の関連性」「(2) 課題の共通性」「(3) 作用、機能の共通性」「(4) 引用発明の内容中の示唆」の4要素のみが挙げられている。

*7:すなわち、現在の進歩性判断枠組みの“大枠”に沿った指示をした場合。

*8:AIが思考しているのか否か、私には判断できないので、「」に入れておく。

*9:潮海久雄・前掲47頁参照。

*10:塚原朋一・前掲428頁以下、および、同「同一技術分野論は終焉を迎えるか」特許研究51号(2011)2頁参照。

*11:例えば、『特許・実用新案審査基準』第III部 第2章 第2節 3.1.1 (2020.12)には、「審査官は、主引用発明に副引用発明を適用する動機付けの有無を判断するに当たり、(1)から(4)までの動機付けとなり得る観点のうち「技術分野の関連性」については、他の動機付けとなり得る観点も併せて考慮しなければならない。」と述べられているが、このような注記が、AIとの「壁打ち」の結果生まれた発明について妥当するのだろうか。

*12:中山一郎・前掲210頁参照。

*13:パブリックコメント募集中にもかかわらず、このガイダンスはすでに発効しており、(ガイダンス公表後になされた出願のみならず)全出願・権利について適用にされる。

*14:なお、このガイダンスは、utility patentのみならず、design patentおよびplant patentを含む。

*15:公表された事例の一つ「Transaxle for Remote Control Car (Example 1)」は「壁打ち」をしていると考えられる。

Bruce Schneier『ハッキング思考』

セキュリティの専門家であるブルース・シュナイアー(Bruce Schneier)の最新著書の邦訳(翻訳:高橋聡)、『ハッキング思考 強者はいかにしてルールを歪めるのか、それを正すにはどうしたらいいのか』(2023,日経BP)*1を読んだ。

「ハッキング」という書名から、コンピュータに関する話題のみを扱ったものに思われるかも知れないが、出版社による紹介ページの末尾にある、【目次】を見れば分かるとおり、本書は、コンピュータのみならず、法や政治を含む幅広い分野を対象としている。

その一部を、批評のために、引用する*2。本書において「ハック」とは、「システムの規則に従いながらもその意図をくじく技術」と定義されている。

コモン・ローとは、判例という形で司法上の判断をもとに成り立っている法である。立法府によって可決される成文法とも、政府各機関によって制定される規制法とも違う。コモン・ローは、成文法より柔軟性に富んでいる。時間がたっても一貫性を保つが、裁判官の判断によって進化することもできる。過去の判例を再適用したり、判例との類似性に基づいて判定したりすることもあれば、新しい状況に合わせて過去の判例の形を変えて応用することもあるからだ。基本的には、合法と確定された、つまり今後の判例となる一連のハックが、進化になっていく。

特許法を例に考えてみる。特許法は制定法に基づいているが、細部の大部分は判例に基づく規則で成り立っている。特許は億単位の価値をもつことがあり、訴訟も日常茶飯事だ。特許には大金がかかっているので、システムのハックは後を絶たない。ひとつだけ、特許の差止を例にあげよう。特許権者が特許を侵害されたとき、裁判所で最終的な判決が出るまで、ただちに差止を請求して、その侵害を止めることができるという考え方である。2006年まで、差止請求は簡単だった。〔略〕

差止請求のハックについては、テクノロジーおよびオンラインオークション会社であるメルクエクスチェンジ(MercExchange)が、同じオークションサイトのイーベイを訴えたときに判定が下されている。〔略〕連邦最高裁判所は2006年にこれを取り上げ、特許差止請求に関する規則を改めて、この脆弱性にパッチを当てた。差止が妥当かどうかを判定する際には、これまでより厳格に4つの要件の立証を適用するよう、各裁判所に命じたのである*3

法が新たな環境、新たな展開、新たな技術に適応していく過程はハッキングである。法律の専門家は誰ひとりとしてハッキングとは呼ばないが、基本的には間違いなくハッキングだ。

上記は、コモン・ローについて述べたものだが、判例による「進化」は、日本法制にも当てはまるものだろう。

日本法制のうち特許法領域でいえば、構成要素の一部でも国外にあれば日本特許権の侵害を免れられるという「ハック」に対し、「パッチ」を施した知財高大判令和5年5月26日(令和4年(ネ)第10046号)[コメント配信システム]が記憶に新しい*4

もっとも、上記引用のなかで、理解しがたい点もある。次の文である:

特許権者が特許を侵害されたとき、裁判所で最終的な判決が出るまで、ただちに差止を請求して、その侵害を止めることができるという考え方である。

「裁判所で最終的な判決が出るまで、ただちに差止を請求して、その侵害を止めることができる」とは、どういうことだろうか? 一般的な「差止」、すなわち終局的差止命令(permanent injunction)は、判決により初めて出されるはずである。

そこで、まず、邦訳に誤りがあるのではないかと思い、原著*5(のKindle版)を確認したところ、この文の原文は以下のものであった:

The idea with patent injunctions is that someone whose patent is being infringed on can obtain a quick injunction preventing that infringement until the court issues a final ruling.

すなわち、邦訳に誤りはない(訳者の高橋聡さん、疑って申し訳ありませんでした……)。

であれば、「裁判所で最終的な判決が出るまで、ただちに差止を請求して、その侵害を止めることができる」の「差止」とは、暫定的差止命令(preliminary injunction)のことなのだろうか? しかし、そうすると、eBay連邦最判の話とつながらない気がする。あの最判は終局的差止命令についてのものだからである。

こうなったら、この文の「差止」が、終局的差止命令を意味するのか、それとも暫定的差止命令を意味するのか、著者本人に訊くしかない!

幸い、著者のメールアドレスは、公開されている。でも、多忙だろうし、凄まじい数のメールを受け取ってもいるだろうから、返信はきっと来ないだろうな。そう思いながら、著者へ質問のメールを出した。

返信はすぐに来た!!

大要*6「憶えていない。ただ、暫定的差止命令を意味していたのだと思う」との回答であった……。

しかし、暫定的差止命令は、eBay連邦最判の前でも、(本書の上記引用部分の認識と異なり)簡単に認められるものではなかったように思われる*7

ただし、上記点に拘わらず、本書は、興味深く示唆に富む記述に溢れたものであり、一読する価値があると断言できる。

更新履歴

  • 2024-01-07 公開

*1:原書の出版が2023年2月・邦訳の出版が2023年10月と、原書から間を開けずに邦訳が出版されたことに感謝したい。

*2:33章「コモン・ローをめぐるハッキング」より。

*3:引用者注:eBay Inc. v. MercExchange, L.L.C., 547 U.S. 388 (2006).

*4:知財高裁判決を「判例」と称してよいかは、さておく。

*5:"A Hacker’s Mind How the Powerful Bend Society’s Rules, and How to Bend them Back”

*6:短い返信だったので、「大要」というより、ほぼそのままであるが。

*7:例えば、Amazon.com, Inc. v. Barnesandnoble.com, Inc., 239 F.3d 1343 (Fed. Cir. 2001)において、CAFCは、連邦地裁の出した暫定的差止命令を取り消した(vacate)。

方法の発明の102条1項適用について ― 令和5年不競法改正を踏まえて ―

特許法102条1項

特許法102条1項は、次のものである。

特許権者又は専用実施権者が故意又は過失により自己の特許権又は専用実施権を侵害した者に対しその侵害により自己が受けた損害の賠償を請求する場合において、その者がその侵害の行為を組成した物を譲渡したときは、次の各号に掲げる額の合計額を、特許権者又は専用実施権者が受けた損害の額とすることができる。

一 特許権者又は専用実施権者がその侵害の行為がなければ販売することができた物の単位数量当たりの利益の額に、自己の特許権又は専用実施権を侵害した者が譲渡した物の数量(……)のうち当該特許権者又は専用実施権者の実施の能力に応じた数量(……)を超えない部分(その全部又は一部に相当する数量を当該特許権者又は専用実施権者が販売することができないとする事情があるときは、当該事情に相当する数量(……)を控除した数量)を乗じて得た額

二 [引用者注:略]


この102条1項につき、年初の本ウェブログの投稿で、次のように書いた(注は省略;太字による強調は今回の追加)。

このように条文では、数ある実施行為(2条3項)のうち「譲渡」のみが挙げられている。「譲渡」以外の実施行為(特許権侵害行為)については、102条1項を適用できる余地は全くないのだろうか。……「譲渡」以外の実施行為であっても、「物」(プログラム等を含む)の移動が伴う行為 ― 「貸渡し」「電気通信回線を通じた提供」「輸入」「輸出」 ― については、102条1項の適用(あるいは類推適用)が可能であるように思われる。


それでは、特許権侵害行為が「使用」の場合には、102条1項は(類推)適用できるのか。以下、特許発明が物の発明である場合と方法の発明である場合とに分けて検討する。


物の発明の場合は、侵害製品(特許発明の技術的範囲に含まれる侵害者の製品)は「侵害の行為を組成した物」(102条1項柱書)に該当するため、特許権者が特許発明実施製品(あるいは侵害製品の競合製品)の「使用」1回ごとに利益を得ていると言えるならば、その利益の額を「侵害の行為がなければ販売することができた物の単位数量当たりの利益の額」に対応するものと捉えることで、102条1項の類推適用を認めても良いのではなかろうか。「譲渡」の場合と本質的には変わりがないと考えられるからである。


一方、方法の発明の場合は、侵害方法(特許発明の技術的範囲に含まれる侵害者の行為)において物(装置等)が用いられていたとしても、当該物は「侵害の行為に供した物」であって「侵害の行為を組成した物」とは言えない。そのため、102条1項の(類推)適用は難しいように思われる。

令和5年改正不競法5条1項

ところで、令和5年法律第51号により、不正競争防止法5条1項は、以下のように改正された(下線は改正部分を表し、太字による強調は引用者による)*1

第二条第一項第一号から第十六号まで又は第二十二号に掲げる不正競争によって営業上の利益を侵害された者(以下この項において「被侵害者」という。)が故意又は過失により自己の営業上の利益を侵害した者(以下この項において「侵害者」という。)に対しその侵害により自己が受けた損害の賠償を請求する場合において、侵害者がその侵害の行為を組成した物(電磁的記録を含む。以下この項において同じ。)を譲渡したとき(侵害の行為により生じた物を譲渡したときを含む。)、又はその侵害の行為により生じた役務を提供したときは、次に掲げる額の合計額を、被侵害者が受けた損害の額とすることができる。

一 被侵害者がその侵害の行為がなければ販売することができた物又は提供することができた役務の単位数量当たりの利益の額に、侵害者が譲渡した当該物又は提供した当該役務の数量(……)のうち被侵害者の販売又は提供の能力に応じた数量(……)を超えない部分(その全部又は一部に相当する数量を被侵害者が販売又は提供をすることができないとする事情があるときは、当該事情に相当する数量(……)を控除した数量)を乗じて得た額

二 [引用者注:以下略]


上記太字強調部の改正は、産業構造審議会による次の検討結果*2を踏まえたものである:

……また、役務を提供をしている場合にも同項〔引用者注:令和5年改正前不競法5条1項〕を適用することができないが、ビジネスモデルが多様化する中、「物の譲渡」に限らない、役務提供をしている事例にも同項を適用可能とすべきではないか、との課題意識のもと検討を行った。


これらの課題意識を踏まえ、同項において、技術上の秘密に限定されている対象情報を営業秘密全般に拡充し、さらに「物を譲渡」した場合のみを想定している要件をデータや役務を提供している場合にも拡充するとの提案を行った。なお、同項は、その構造上、元々商取引に単位が認められ、当該単位で競争している場合に活用できる規定であるため、仮に拡充を行ったとしても、商取引単位が観念できないものについては適用することができない*3との整理もあわせて提示した。

立案担当者解説も、上記改正部分につき、次のように説明する(太字による強調は引用者による)*4

現行法5条1項は、「物を譲渡」と規定しており、データの販売や役務の提供を行った事例に同項が適用されるかが文言上不明確であった。


……技術の進展に伴い、データが化体した商品も現れているところ、商品の中には、物やデータだけでなく役務を提供する場合(たとえば営業秘密である消費動向データを使用して学習を行って将来の消費動向の予測を可能にするAI 学習プログラムなどの営業秘密が化体した商品を用いて、将来の消費動向を提示するサービスの提供や、血液に関する化学分析結果のデータを用いて、特定疾患の発症リスクを評価するサービスの提供)も十分に想定されるところである。


そして、物の譲渡であれ、データまたはサービスのような役務の提供であれ、侵害者の利益が過少である場合に逸失利益に見合った賠償がなされない可能性や、侵害者の利益額を証明する困難さを含め損害額の立証の困難性に違いはない。


そこで、「物を譲渡」した場合を想定している現行法5条1項の要件をデータ(電磁的記録)や役務を提供した場合にも拡充した(改正法5条1項)。

不競法改正のもたらす、特許法解釈変更の可能性

この不競法改正を受けて、特許法102条1項の解釈 ―役務提供への適用許否についての解釈 ―は変わるのだろうか。

一つの考え方としては、現行特許法102条1項には、不競法5条1項に今般追加された「その侵害の行為により生じた役務を提供したとき」といった文言は存在しないのだから、方法の発明の実施(による役務提供)に、102条1項の適用は許されない(不競法5条1項の今般改正でそのことが確認された)、というものがある。

しかし、もう一つの考え方として、令和5年不競法改正立案担当者の挙げる「物の譲渡であれ、データまたはサービスのような役務の提供であれ、侵害者の利益が過少である場合に逸失利益に見合った賠償がなされない可能性や、侵害者の利益額を証明する困難さを含め損害額の立証の困難性に違いはない」との状況は、特許法でも変わりがないのだから、方法の発明の実施(による役務提供)について特許法102条1項(類推)適用を認めるべきである、というものも、あり得るように思われる。

さらに、上記立案担当者は、「現行法5条1項は、「物を譲渡」と規定しており、データの販売や役務の提供を行った事例に同項が適用されるかが文言上不明確であった。」とも記している。

不競法5条1項への「その侵害の行為により生じた役務を提供したとき」の文言追加の目的が「明確」化であり、改正前から役務提供についても5条1項適用が認められていた、と言えるのならば、特許法102条1項についても同様に、「その侵害の行為により生じた役務を提供したとき」といった文言が存在せずとも、方法の発明の実施による役務提供に対し、102条1項の適用が可能と言えよう。


本年は、このように、年初で示した私見(という程のものではないが)を一部改めることにより、終えることとする。

来年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

更新履歴

  • 2023-12-29 公開

*1:施行日は、令和6(2024)年4月1日。

*2:産業構造審議会 知的財産分科会 不正競争防止小委員会『デジタル化に伴うビジネスの多様化を踏まえた不正競争防止法の在り方』(2023)19頁以下。

*3:引用者注:「商取引単位が観念できないものについては適用することができない」との部分は、条文には反映されていない。今後の解釈に委ねられたと言えよう。

*4:黒川直毅ほか「令和5年不正競争防止法改正の概要」L&T101号(2023)37頁。