特許法の八衢

続・先使用権についての一考

はじめに

先使用権について述べた、先の記事を補足するため、次の3つのケースにおいて、
「A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.01~0.05質量%である、塗料。」という特許発明に係る特許権Xを、
《A成分, B成分, C成分 及び D成分を含み、D成分が0.02質量%の塗料》を実施する被疑侵害者へ、権利行使できるか、考えてみたい。

ケース1

特許権Xの特許出願前に、被疑侵害者は、A成分, B成分, C成分を含む塗料を製造することが難しいことを認識した上、試行錯誤の末、独自に、その塗料の製法を見出した。

被疑侵害者は、この製法は社会にとって役立つと考えたため、特許権Xの特許出願前に、「A成分, B成分, C成分を含む塗料の製法」として論文公表していた。この論文には、第三者の実施可能な形で当該製法が掲載されていた。

そして、被疑侵害者は、この製法を用いて、塗料を事業のために製造し続けていた。

被疑侵害者は認識していなかったが、当該製法を用いると必ず、D成分が0.02質量%含まれる塗料(A成分, B成分, C成分 及び D成分を含み、D成分が0.02質量%の塗料)が製造されるのであった。

このケースにおいて、被疑侵害者への権利行使を許すべきではない。被疑侵害者は、パブリックドメインにあった製法を実施したに過ぎないからである。

さらに言えば、パブリックドメインにあった製法を実施すれば必ず、《A成分, B成分, C成分 及び D成分を含み、D成分が0.02質量%の塗料》が生まれるのであるから、《A成分, B成分, C成分 及び D成分を含み、D成分が0.02質量%の塗料》自体も、パブリックドメインにあったと言える。
したがって、特許権Xの特許発明「A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.01~0.05質量%である、塗料。」は、パブリックドメインにあるものが含まれるため、その特許には新規性欠如の無効理由がある。

ケース2

特許権Xの特許出願前に、被疑侵害者は、A成分, B成分, C成分を含む塗料を製造することが難しいことを認識した上で、試行錯誤の末、独自に、その塗料の製法を見出した。

被疑侵害者は、当該製法は自社にとって重要なものと考え、その製法を公開せずにノウハウとして秘匿することを選択した。さらに、被疑侵害者は、当該製法について第三者が後から特許権を取得した場合に、先使用権を主張できるよう、その製法を第三者が実施可能な程度に記載した文書を作成し、特許権Xの特許出願前に、確定日付を取得した。

そして、被疑侵害者は、特許権Xの特許出願前から、日本国内の社内施設において、この製法を用いて、塗料を事業のために製造し続けていた。もっとも、被疑侵害者は、この製法を行なうと必ず、塗料にD成分が0.02質量%含まれることは認識していなかった。

このケースにおいて、被疑侵害者は、《A成分, B成分, C成分を含む塗料》(詳細には《A成分, B成分, C成分 及び D成分を含み、D成分が0.02質量%の塗料》)の製法を、独自に「発明」し、その発明の実施である事業を、特許権Xの特許出願の際現にしていた、というべきである。

してみれば、被疑侵害者の認識に拘わらず、被疑侵害者は、被疑侵害者が「発明」した製法により作られた塗料、すなわち、被疑侵害者が「発明」した製法により作られた《A成分, B成分, C成分 及び D成分を含み、D成分が0.02質量%の塗料》自体も「発明」し、その発明の実施である事業を、特許権Xの特許出願の際現にしていた、といえる。

そして、この「発明」は、特許権Xに係る特許発明「A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.01~0.05質量%である、塗料。」に含まれるものである。このことは、被疑侵害者が、この製法について、ノウハウ秘匿の代わりに、論文公表あるいは特許出願を選択していたならば、ケース1で述べたように、特許権Xに係る特許には無効理由がある*1ことから、理解できよう。

したがって、少なくとも、被疑侵害者が「発明」した(製法により作られた)《A成分, B成分, C成分 及び D成分を含み、D成分が0.02質量%の塗料》については、被疑侵害者に先使用権を認められる、と解さなければならない*2

ケース3

特許権Xの特許出願前に、被疑侵害者は、A成分, B成分, C成分を含む塗料が必要となった。このような塗料は世の中に存在しないことから、被疑侵害者がふと思いついた製法を試したところ、A成分, B成分, C成分を含む塗料を作ることができた。

被疑侵害者は、その製法が特許に値するものだとは考えなかったが、A成分, B成分, C成分を含む塗料を事業で利用できように、その製法を文章化して、塗料を被疑侵害者(社)内の誰もが作れるようにした。

そして、被疑侵害者は、特許権Xの特許出願前から、日本国内の社内施設において、この製法を用いて、塗料を事業のために製造し続けていた。もっとも、被疑侵害者は、この製法を行なうと必ず、塗料にD成分が0.02質量%含まれることは認識していなかった。

ケース2で先使用権が認められると考えるならば、このケース3で先使用権が認められるか否かは、製法を文章化したものを読んだ第三者がその製法が実施できたか否かに依る、と考えられる。

製法を文章化したものを読んだ第三者が、その製法を再現できるならば、当該製法は「発明」として完成していたと言え、ケース2と同様だからである。そして、被疑侵害者がこの塗料を用いた事業を継続実施していたならば、第三者にも理解できる程度に、その製法が文章化されていることが多いのではなかろうか。

まとめに代えて

私は、先の記事において、無意識に上記のことを踏まえ、被疑侵害者に先使用が認められる、と結論していた。

本記事は、無意識に行なった自己の思考過程の一端を、文章の形にすることで、明確化したものである。

2024-03-26追記

ありがたいことに、『そーとく日記』2024年03月26日記事で、本稿が採り上げられた。ただし、やや誤解があるようにも見受けられるため、以下、『そーとく日記』上記記事を引用しつつ、若干の補足を加えたい。結論を言えば、私は『そーとく日記』にほぼ全面的に同意している。

田中先生の3月24日の論考では、「ケース1」が先使用者が自らの製法を論文として公表していた場合、「ケース2」は自らの製法について第三者が実施可能な程度に詳細な文書を作成して確定日付を取得していた場合、「ケース3」が製法を社内で文章化していた場合で、いずれも先使用権は成立すべきだと論じられている。 先使用者の製法発明を客観的に認定できるかという論点をなくすために文書化という前提を置かれたのかもしれない

その通りである。「技術的思想」であること=「一定の課題を解決する具体的手段であって、反復して実施可能なもの」であることについて議論の余地がないように、文書化を前提とした。

ところで田中先生は3月24日の投稿で、先使用者は「塗料にD成分が0.02質量%含まれることは認識していなかった。」と書かれており、先使用者がなした発明(すなわち製造方法の工程)に対する認識の要否ではなく、弁理士会の第20回公開フォーラムでも話題になったように、「D成分の含有量」(クレームの発明特定事項の一つ)についての認識の要否に焦点があてられている。しかし私としては、それを認識していたか否かは、クレームの発明とは関係がないと言いたい。

「認識の要否に焦点があてられている」というのは、誤解である(私の記述が悪かったのであろうが)。
被疑侵害者の認識に拘わらず、被疑侵害者は、被疑侵害者が「発明」した製法により作られた塗料、すなわち、被疑侵害者が「発明」した製法により作られた《A成分, B成分, C成分 及び D成分を含み、D成分が0.02質量%の塗料》自体も「発明」し、その発明の実施である事業を、特許権Xの特許出願の際現にしていた、といえる。」と書いたように、私も、認識と無関係に、事実として「D成分が0.02質量%」が含まれるならば、それで《A成分, B成分, C成分 及び D成分を含み、D成分が0.02質量%の塗料》との発明がなされた*3、と判断すべきだと考える。

なおFubuki先生は、79条に「知らないで自ら『その発明』をし」と書いてあることを指摘されており、これもよく問題にされることではあるが、この特許発明は、「A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が安定・継続的に0.01~0.05質量%でありさえすれば、それを認識していようがいまいが、管理していようがいまいが、そんなことは関係がない、塗料。」という発明であって、先使用者はまさにそういう発明を実施している(実施している以上、完成または知得している)のだから、なんら問題はない、というのが私の立場だ。

上記は私の記事に対するものではないが、私も『そーとく日記』と同様の考えである。
私の先の記事で「この「A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.01~0.05質量%である、塗料。」という「発明」には、《A成分, B成分, C成分 及び D成分を含み、D成分が0.02質量%の塗料》という「発明」、すなわち被疑侵害者がなした「発明」も含まれる。」と書いたように(強調は今般追加)、上記ケース2及び3では、被疑侵害者がその発明(=特許出願に係る発明)を独自になしているのだから、79条の「知らないで自ら『その発明』をし」という要件を問題なく充足している、と私は考えている。
念のために述べると、これらケースにおいて、被疑侵害者がなした発明は、特許発明の“一部”のみではある。しかし、先の記事で最二小判昭和61年10月3日(昭和61年(オ)第454号) 民集40巻6号1068頁を引用して述べたように、被疑侵害者のなした「発明」が特許発明の一部にしか当たらない場合も(その範囲では)先使用権が認められることは、条文との齟齬を来さない。

蛇足を加えると、クレーム制度は(保護を求める)技術的思想をクレームとして表現することを要求する制度であるから、「A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.01~0.05質量%である、塗料。」というクレームは、技術的思想そのものとして捉えるべきである。したがって、「このクレームの発明は、「D成分の含有量が0.01~0.05質量%であることの認識」などということは関係がない発明」という『そーとく日記』の見解は妥当である。

とにもかくにも、「私も先使用権の成立性について、3回くらいに分けて書いてみたい。」と述べる『そーとく日記』に、今後も期待したい。

2024-03-26追記ここまで。

更新履歴

  • 2024-03-24 公開
  • 2024-03-26 『そーとく日記』2024年03月26日記事をふまえ追記

*1:特許出願を行なった場合であって、その出願公開が特許権Xの出願前になされたときは、特許権Xに新規性違反による無効理由があることはもちろん、その出願公開が特許権Xの出願後になされたときでも、特許権Xは29条の2違反による無効理由がある。

*2:被疑侵害者が「発明」した製法以外で作られた《A成分, B成分, C成分 及び D成分を含み、D成分が0.02質量%の塗料》についてまで、先使用権が認められるか否かは、実施形式の変更の文脈で検討すべきものと考える。

*3:より正確に言えば、その製法の発明の完成と同時に、その塗料自体についての発明(物質発明)もなされた。