井関涼子「≪先行公開版≫先使用権の緩やかな認定?―特許権の緩慢な死?」別冊パテント30号(2024年03月29日公開)は、次のように述べる(強調は引用者による)。
先使用発明が特許発明の一部であって、先使用権がその一部にしか及ばない例としては、例えば、先使用に係る実施形式は製法 P による化学物質 S の製造であり、この化学物質 S は新規化合物であるが、その構造や物性は明らかではなく、他の製法も判明していなかった場合が考えられる。この場合、先使用の実施形式に具現されている技術的思想は、化学物質 S の製法 P である。これに対して特許発明のクレームは化学物質 S という物質発明で、明細書に製法 Q が書かれていたという場合、先使用権は、製法 P による化学物質 S のみに及ぶから、製法 Q による製造には、及ばないことになる。明細書に記載の無い製法 R があった場合にも、製法 R による製造に先使用権は及ばない。このようなケースでは、先使用権は特許発明の一部に成立すると考えられる。
私が、先の2つの記事「先使用権についての一考」および「続・先使用権についての一考」で述べたかったことは、ほぼ上記に尽きる*1。
しかし、自分の頭の中を整理する意味でも、以下、私の考えを記す。
被疑侵害者は、その製法Pが進歩性を有するものだとは考えなかったが、A成分, B成分, C成分を含む塗料を事業で利用できように、製法Pを文章化して、塗料を被疑侵害者(社)内の誰もが作れるようにした。
そして、被疑侵害者は、特許出願前から、日本国内の社内施設において、この製法を用いて、塗料を事業のために製造し続けていた。
もっとも、被疑侵害者は、製法Pを行なうと必ず、塗料にD成分が0.02質量%含まれることは認識していなかった。
この場合、被疑侵害者は、特許出願前に《製法P》を「発明」し*3、また、《製法Pで作られた、A成分, B成分, C成分を含む塗料》*4を「発明」している。
ここで、《製法Pで作られた、A成分, B成分, C成分を含む塗料》は、実際には、《製法Pで作られた、A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.02質量%である、塗料》ではあるが、発明が完成しているか否かを考えるに当たり、発明者がD成分の存在を認識している必要はない。
反復実施可能な製法Pを見出させれば、「発明」が完成しているとして十分であり、〈なぜ製法PによりA成分, B成分, C成分を含む塗料を作ることができるのか?〉といったメカニズム(本設例では「製法Pによって導入されるD成分がA成分+B成分+C成分の安定化に寄与する」)の解明までは特許法上の「発明」に求められていないからである*5。
もちろん、メカニズムの解明した者は、より“広い”「発明」をなしたと言える場合が多い。とくに、物質特許を認める現行特許法は、新規物質(本設例では「A成分, B成分, C成分を含む塗料」)の構造(本設例では「D成分を微量含む」)を解明した者には、製造方法を問わず新規物質“全体”について独占できるという特典を与えている。しかし、メカニズムや物質構造を解明していない者に対しても、特許法は一定の範囲では独占権を与えている。
ここで、弁理士X「先使用権のあれこれ」(2024) は、
しかし、D成分の存在を「認識」せずに、「A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.02質量%である、塗料。」という発明をすることはできるのか。
そして、「A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.02質量%である、塗料。」という発明を他人に知得させることはできるのか。
と述べるが、「できる」というのが、私の回答である。
ただし、「製法Pで作られた、A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.02質量%である、塗料。」という限定のある発明ではある。
以上を踏まえると、少なくとも、《製法P》および《製法Pで作られた、A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.02質量%である、塗料》については、先使用権が認められる、と考えるべきである*6。
そして、この解釈は、特許法79条の条文とも齟齬しない。
「特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし」という条文において、「特許出願に係る発明の内容」が《A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.01~0.05質量%である、塗料》に当たり、「その発明」が《製法Pで作られた、A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.02質量%である、塗料》に当たる。
さらに、《製法Pで作られた、A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.02質量%である、塗料》は、《A成分, B成分, C成分 及び D成分 を含む塗料であって、D成分の含有量が0.01~0.05質量%である、塗料》の下位概念である*7から、「その発明」は「特許出願に係る発明の内容」に含まれる*8。
ちなみに、高部眞規子「≪先行公開版≫判例からみた先使用権―主張立証責任を中心に―」別冊パテント30号(2024年03月29日公開)も、次のように「対象製品の技術的仕様を備えた製品が反復継続して製造されていた場合」は先使用権が認められると述べていることから、本設例において、被疑侵害者の認識がなくても、被疑侵害者の製造する塗料に常にD成分が0.02質量%含まれていた場合は、先使用権の成立を認める見解であるように思われる。
前掲知財高判平成 30・4・4*9 を根拠に、数値が技術的意義を有するものと先使用者が認識している必要があるとする判例評釈もあるが、同判決は、認識まで要求したつもりではなかったし、そのような判示はしていない。実務的にみても、技術的思想の創作としての発明の完成について、発明者の主観を問うことは、裁判実務上困難であるから、客観的には、発明の内容や事業が一義的に確定していることによって発明の完成(及び事業の準備)を認定すべきである。すなわち、先使用者に直接かつ明確な認識があるとはいえない場合でも、対象製品の技術的仕様を備えた製品が反復継続して製造されていた場合には、特許発明が開示する事項を一定に管理されていたということができるから、特許出願の前に対象製品の技術的仕様が確定しており、当該仕様に基づいて対象製品を製造等していたことを示すことによって、特許発明が開示した事項も一定に管理されていたことを証することができる。数値限定発明の場合も、製法や仕様が管理され、全てのロットで数値限定発明の数値を充たすという客観的な状況があれば、実施者がこれを明確に意識しなかった場合であっても、公平の観点から先使用権を認めることができよう。
[強調引用者;脚注略]
最後に、『そーとく日記』2024年03月29日記事の2つの設例に言及したい。
当該記事でも「クレームの範囲の物を製造する方法について、第三者が実施可能なように伝授できるような発明をしているとは言い難いが、それでもなお、クレームの範囲の物を製造する発明をしたと言えなくはないか・・」と書かれているように、
「第三者が実施可能」か否かが、被疑侵害者が発明をなしているか、ひいては先使用権を認められるかの分水嶺だと、私は考える。
設例1では、「どこからか完成済みの製造機械(一点もの)を入手して」(強調引用者)と書かれているので、当該「製造機械」を第三者に特定可能なように示すことは困難なように思われる。
他方、設例2では、「不純物が含まれた原料」の型番などを特定できれば(そして、その型番の原料を用いて“それなりの”確率で*10A成分, B成分, C成分を含む塗料ができるのであれば)、〈型番XXXの原料を用いて○○工程を行ない、……△△工程を行なう、A成分, B成分, C成分を含む塗料の製法〉という発明がなされた。と言える場合もあるのではなかろうか。そして、型番XXXの原料を用いた塗料の製造については、先使用権が成立させてもよいのではなかろうか。
なお、『そーとく日記』上記記事は、「私としては、自由の尊重というか、「何人も自身の実施が後から出願した者により阻まれることはない」と思いたいので、先使用権の成立に、「侵害し続けられるように」自らの実施を管理していること、すなわち、先使用者の実施内容に摂動(攪乱)を加えてもクレームの範囲の物を作り続けられるように実施されている必要はない」と述べているため、私よりも緩やかに先使用権の成立を認める見解のようである。
更新履歴
- 2024-03-30 公開
*1:ただし、状況によっては、製法P以外への実施形式の変更が認められる場合がありうる、とは考えている。
*2:「続・先使用権についての一考」に書いた「ケース3」(表現等を若干修正した)。
*3:なお、製法Pが文章化がされておらずとも、製法Pが反復して実施可能な状態にあれば、発明がなされている、と考えるべきである。
*4:プロダクト・バイ・プロセス・クレームについて、最高裁は製法限定説ではなく物同一説を採ったため、物クレームとして書くならば、「製法Pで作られた、A成分, B成分, C成分を含む塗料(製法P以外で作られた物を除く)。」といった形式となろう(この形式であれば、明確性要件を充足すると思われる)が、本稿では「(製法P以外で作られた物を除く)」との記載は省く。
*5:それを示すものの一つが、プロダクト・バイ・プロセス・クレームが認められていることである。
*6:塗料のみならず、製法Pについても先使用権を認めないと、製法Pの実施は特許発明の「生産」となるため、製法Pを行なったら特許権侵害となってしまう。
*7:製法Pも下位概念と考えられよう。
*8:「先使用権についての一考」において記したように、最二小判昭和61年10月3日(昭和61年(オ)第454号) 民集40巻6号1068頁は「実施形式に具現された発明が特許発明の一部にしか相当しないときは、先使用権の効力は当該特許発明の当該一部にしか及ばない」と述べ、被疑侵害者のなした「発明」が特許発明の一部にしか当たらない場合も、(その範囲では)先使用権が認めている。
*9:引用者注:論者が裁判長をつとめた、平成29年(ネ)第10090号事件。
*10:最小三判 平成12年2月29日(平成10年(行ツ)第19号)民集54巻2号709頁は、「反復可能性」に高確率であることを求めていない。