特許法の八衢

優先権主張を伴う「実施例補充型」出願について国内優先権の有効性が判断された事案 ― 知財高判令和6年3月26日(令和5年(行ケ)第10057号)

1. はじめに

知財高判令和6年3月26日(令和5年(行ケ)第10057号)は、国内優先権の主張を伴う「実施例補充型」の特許出願について、国内優先権の有効性が問題となった事案である。

本件で対象となった特許出願(本件出願)は、2つの日本出願(優先権出願1[2016年3月31日出願]および優先権出願2[2016年11月25日出願])を基礎とする国内優先権の主張を伴うPCT出願*1が、日本へ国内移行された後、特許権設定登録がなされたものである。

原告は、本件出願に係る特許について、特許無効審判を請求した。紆余曲折あったものの*2、最終的に、特許権者による請求項1等の訂正請求が認められ、また、訂正後の請求項1に係る発明(本件訂正発明1)等について優先権出願1に基づく国内優先権の有効性が認められた結果、請求不成立の審決(本件審決)がなされた。

これに対し、原告が本件審決の取消しを求めて訴訟提起したのが、本件である。
知財高裁は、優先権出願1に基づく国内優先権の有効性を認め、無効不成立審決を維持した。

2. 優先権出願1および本件出願

2-1. 優先権出願1

【請求項1】*3

  • 害虫忌避成分を含む害虫忌避組成物が充填され、前記害虫忌避組成物を噴射する噴口が形成された噴射製品であり、
  • 前記害虫忌避成分は、
    • 3-(N-n-ブチル-N-アセチル)アミノプロピオン酸エチルエステル《引用者注:判決文では「EBAAP」とも称されている》
    • p-メンタン-3,8-ジオール、
    • 1-メチルプロピル 2-(2-ヒドロキシエチル)-1-ピペリジンカルボキシレート《引用者注:判決文では「イカリジン」とも称されている》
    • からなる群から選択される少なくとも1の成分であり、
  • 前記噴口から15cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r₁₅と、前記噴口から30cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r₃₀との粒子径比(r₃₀/r₁₅)が、0.6以上となるよう調整され、
  • 前記噴口から30cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r₃₀が、50μm以上となるよう調整された、

噴射製品。

優先権出願1の明細書記載の【表1】

2-2. 本件出願

【請求項1】《引用者注:本件訂正発明1》

  • 害虫忌避成分を含む害虫忌避組成物が充填され、前記害虫忌避組成物を噴射する噴口が形成された噴射製品(ただし、噴射剤を含む場合を除く)であり、
  • 前記害虫忌避組成物は、20℃での蒸気圧が2.5kPa以下であり、かつ、噴射後の揮発を抑制するための揮発抑制成分(ただし揮発抑制成分がグリセリンである場合を除く)を、害虫忌避組成物中、10質量%以上含み、
  • 前記害虫忌避成分は、
    • 3-(N-n-ブチル-N-アセチル)アミノプロピオン酸エチルエステル《引用者注:「EBAAP」》
    • 1-メチルプロピル 2-(2-ヒドロキシエチル)-1-ピペリジンカルボキシレート《引用者注:「イカリジン」》
    • からなる群から選択される少なくとも1の成分であり、
  • 前記噴口から15cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r₁₅と、前記噴口から30cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r₃₀との粒子径比(r₃₀/r₁₅)が、0.6以上となるよう調整され、
  • 前記噴口から30cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r₃₀が、50μm以上となるよう調整された、

噴射製品。

本件出願の明細書記載の【表1】(赤枠は引用者追記)

2-3. 優先権出願1における「イカリジン」

上記のように、優先権出願1において、クレームでは「EBAAP」のみならず「イカリジン」も記載されているが、実施例には、「イカリジン」についての記載はない。優先権出願2および本件出願において、「イカリジン」についての実施例が追加されたのである(上記本件出願の明細書記載の【表1】の赤枠参照)。

それゆえ、本件出願に係る本件訂正発明1の「イカリジン」部分について、優先権出願1を基礎とする優先権主張の効果が認められるか否かが、本件で大きな争点となった。

3. 知財高裁の判断*4

3-1. 優先権有効性判断の一般論、および、本事案における当てはめ

原告は、本件訂正発明1の要旨となる技術的事項のうち害虫忌避成分を「イカリジン」とする部分に、優先権出願1を基礎とする優先権主張の効果は認められないと主張するため、以下検討する。

特許法41条1項の規定による優先権(国内優先権)の主張を伴う後の出願に係る発明のうち、その国内優先権の主張の基礎とされた先の出願の願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲若しくは実用新案登録請求の範囲又は図面(以下、これらを合わせて「当初明細書等」という。)に記載された発明については、新規性(29条1項)、進歩性(29条2項)等の実体審査に係る規定の適用に当たり、当該後の出願が当該先の出願の時にされたものとみなされる(特許法41条2項)。

そして、国内優先権主張の効果が認められるかどうかについては、後の出願の特許請求の範囲の文言が、先の出願の当初明細書等に記載されたものといえる場合であっても、後の出願の明細書の発明の詳細な説明に、先の出願の当初明細書等に記載されていなかった技術的事項を記載することにより、後の出願の特許請求の範囲に記載された発明の要旨となる技術的事項が、先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項の範囲を超えることになる場合は、その超えた部分については優先権主張の効果は認められないと解するのが相当である。

上記……で認定したとおり、優先権出願1の明細書等には……害虫忌避成分として、3-(N-n-ブチル-N-アセチル)アミノプロピオン酸エチルエステル(EBAAP)、p-メンタン-3,8-ジオール、1-メチルプロピル 2-(2-ヒドロキシエチル)-1-ピペリジンカルボキシレート(イカリジン)に共通して、「使用者の鼻や喉等の粘膜を刺激しやすい害虫忌避成分が配合されているにもかかわらず、粘膜への刺激が低減された噴射製品および噴射方法を提供する」という課題を有し、……所定量の揮発抑制成分を添加するなどして、50%平均粒子径r₃₀と粒子径比(r₃₀/r₁₅)がそれぞれ所定の値以上(粒子径比(r₃₀/r₁₅)が0.6以上、50%平均粒子径r₃₀ が50μm以上)となるよう調整することにより、上記課題を解決することが記載されている。

また、前記……のとおり、本件訂正発明1に関する背景技術、課題、解決手段に加えて、発明の効果に関するメカニズムや各構成要件の技術的意義については、本件明細書……に記載されているが、ほぼ同一の記載が、前記……のとおり、優先権出願1の明細書……において記載されていたものといえる。

……また、本件訂正発明1の発明特定事項は、いずれも優先権出願1の特許請求の範囲の請求項1又は2に記載されており、害虫忌避成分としてEBAAPと同様にイカリジンも明記されていたものといえる。

……優先権出願1の明細書等において、実施例として記載されているのは、害虫忌避成分としてEBAAPを含む噴射製品のみであり、害虫忌避成分としてイカリジンを含む噴射製品に係る実施例は、優先権出願2の明細書等(実施例5及び7)により追加されたものであるが、当該実施例は、本件訂正発明1の実施に係る具体例であるとともに、優先権出願1の特許請求の範囲の請求項1又は2に発明特定事項が記載されていた発明の実施に係る具体例を確認的に記載したものと理解できるから、優先権出願1の明細書等に記載された技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入するものとはいえない。

……したがって、本件訂正発明1の要旨となる技術的事項は、イカリジンを含む部分も含めて優先権出願1の明細書等において記載された技術的事項の範囲を超えるものではないから、本件訂正発明1は、害虫忌避成分をイカリジンとする部分についても、優先権出願1に基づく国内優先権主張の効果が認められる。

3-2. 原告主張に対する知財高裁判断

3-2-1. 害虫忌避成分をイカリジンとする部分は優先権出願1出願時点で完成しているかについて

まず、国内優先権主張の効果が認められるかどうかは、前記……の説示のとおり、後の出願の特許請求の範囲の文言が、先の出願の当初明細書等に記載されたものといえる場合であっても、後の出願の明細書の発明の詳細な説明に、先の出願の当初明細書等に記載されていなかった技術的事項を記載することにより、後の出願の特許請求の範囲に記載された発明の要旨となる技術的事項が、先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項の範囲を超えることになる場合は、その超えた部分については優先権主張の効果は認められないと解するのが相当である。

この点、優先権出願1の明細書等において、実施例として記載されているのは、害虫忌避成分としてEBAAPを含む噴射製品のみであり、害虫忌避成分としてイカリジンを含む噴射製品に係る実施例自体は、優先権出願2の明細書等(実施例5及び7)により追加されたものであるものの、優先権出願1の特許請求の範囲の請求項1又は2に発明特定事項が記載されていた発明の実施に係る具体例を確認的に記載したものと理解できるから、優先権出願1の明細書等に記載された技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入するものではないことは前記……の判断のとおりである。

そして、前記のとおり、優先権出願1の明細書等には、本件訂正発明1に関する背景技術、課題、解決手段に加えて、発明の効果に関するメカニズムや各構成要件の技術的意義が記載されており、これらはEBAAP、p-メンタン-3,8-ジオール及びイカリジンに共通して適用されることも把握できるものといえる。すなわち、優先権出願1の明細書等には、本件訂正発明1について、害虫忌避成分をイカリジンとする部分を含めて、その技術内容が、当該の技術分野における通常の知識を有する者(当業者)が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていると認められる。

これに対し、原告は、EBAAPとイカリジンとは物質として害虫忌避作用があるということのほかには類似性がないこと等により、イカリジンを害虫忌避成分とする場合にEBAAPと同様の結果となるかどうかは判断できず、優先権出願2の出願時にイカリジンに関する実施例を追加することで、初めて実験による技術上の裏付けがされ完成したものであることを主張する。

この点、本件訂正発明1では、害虫忌避組成物の50%平均粒子径r₃₀が、成分の揮発によって小さくなることを抑制するために、蒸気圧が小さい揮発抑制成分(……)を配合しているところ(……)、一般に、物質の揮発しやすさ(揮発性、揮発度ともいう。)は、その成分の蒸気圧によって決定されるものであり(……)、蒸気圧が小さいものは揮発しにくく、蒸気圧が大きいものは揮発しやすいものであるといえる。……EBAAPとイカリジンの蒸気圧は、揮発抑制成分の蒸気圧や溶剤の蒸気圧に比べて極めて小さいものといえる。これらのことからすると、EBAAPとイカリジンはほとんど揮発しないという点では変わりがないから、両者の蒸気圧の違いは、粒子径比(r₃₀/r₁₅)や50%平均粒子径r₃₀に対して与える影響を無視できるものといえる。そうすると、当業者は、EBAAPとイカリジンの蒸気圧を考慮すると、害虫忌避成分としてEBAAPとイカリジンのいずれを使用しても、害虫忌避成分の揮発による粒子径や粒子径比(r₃₀/r₁₅)への影響は変わらないものと理解できる。

したがって、本件訂正発明1のうち害虫忌避成分をイカリジンとする部分は、少なくとも優先権出願2におけるイカリジンに関する実施例を追加することで、初めて実験による技術上の裏付けがなされ完成したものであるとする原告の主張は採用できない。

3-2-2. 「実施可能であるか」について

前記……の「後の出願の特許請求の範囲に記載された発明の要旨とする技術的事項が、先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項を超える」*5ものか否かという判断は、実施例が追加された後の出願の特許請求の範囲に記載された発明が先の出願の当初明細書等の記載事項との関係において実施可能であるかを判断するものと解される。

優先権出願1の明細書等には、EBAAP、p-メンタン-3,8-ジオール又はイカリジンを含む害虫忌避成分について、噴射された粒子が使用者やその周囲の者の鼻や喉等の粘膜を刺激しやすく、その結果、使用者等は、粘膜に違和感を感じたり、咳き込んだりしやすいという問題があることから、使用者の鼻や喉等の粘膜を刺激しやすい害虫忌避成分が配合されているにもかかわらず、粘膜への刺激が低減された噴射製品及び噴射方法を提供することを課題とするものであり、この課題を解決するために、優先権出願1の明細書等に記載された発明は、前記害虫忌避成分を含むものについて、さらに、①噴射後の揮発を抑制するため、20℃での蒸気圧が2.5kPa以下となる揮発抑制成分を、害虫忌避組成物中10質量%以上含み、かつ、②前記噴口から15cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r₁₅と、前記噴口から30cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r₃₀との粒子径比(r₃₀/r₁₅)が、0.6以上となるよう調整され、③前記噴口から30cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r₃₀が、50μm以上となるよう調整されたという特徴を有するものであることが記載されている。そして、その効果を発揮するメカニズムとして、噴射された害虫忌避剤の中には、皮膚や髪等の適用箇所に付着せずに、適用距離(例えば噴口から15cmの距離)を超えて更に離れた位置(例えば噴口から30cm離れた位置)に到達し、浮遊するものがあり、そのような離れた位置では、粒子径が小さくなるため、粘膜刺激を起こしやすく、害虫忌避組成物中に揮発抑制成分を添加して、適用距離における粒子径だけでなく、それを超えた位置における粒子径にも注意を払い、当該粒子径が小さくなりすぎないよう、50%平均粒子径r₃₀と粒子径比(r₃₀/r₁₅)がそれぞれ所定の値以上(粒子径比(r₃₀/r₁₅)が0.6以上、50%平均粒子径r₃₀が50μm以上)となるよう調整したことが説明されている。

……

以上のことからすると、当業者であれば、優先権出願1の明細書の実施例及び比較例において具体的な製造方法が示されているEBAAPを配合した害虫忌避組成物及び噴射製品と同様にして、イカリジンを配合し、粒子径比(r₃₀/r₁₅)が0.6以上、50%平均粒子径r₃₀が50μm以上を満たす噴射製品を製造することができると解される。

この点、原告は、EBAAPとイカリジンの蒸気圧が異なることを主張しているが、……、EBAAPやイカリジンの蒸気圧の違いは、粒子径比(r₃₀/r₁₅)や50%平均粒子径r₃₀に対して与える影響を無視できるものといえるから、当業者であれば、害虫忌避成分としてEBAAPを含む害虫忌避組成物を充填した噴射製品の実施例と同様にして、過度の試行錯誤を要することなく、イカリジンを含む害虫忌避組成物を作成し、これを充填し、粒子径比(r₃₀/r₁₅)を0.6以上、50%平均粒子径r₃₀ を50μm以上に調整した噴射製品を製造することができるといえ、原告の上記主張は採用できない。

3-2-3. サポート要件違反の主張について

原告は、優先権出願1の明細書にサポート要件違反の発明があったことを前提として、本件訂正発明1が、優先権出願2の明細書等において実施例を補充することによってサポート要件違反を回避したものであると主張するが、優先権主張の効果とサポート要件とは異なる要件の問題であり、優先権出願の明細書等にサポート要件違反の発明があったかという観点を考慮すべきとはいえない。

したがって、優先権出願1の明細書にサポート要件違反の発明があったことを前提として、本件訂正発明1が、優先権出願2の明細書等において実施例を補充することによってサポート要件違反を回避したものという原告の主張は前提において失当である。

4. 優先権主張の効果に関する審査基準および先行裁判例*6

4-1. 審査基準 第V部 第2章 国内優先権*7

後の出願の明細書、特許請求の範囲及び図面が先の出願について補正されたものであると仮定した場合において、その補正がされたことにより、後の出願の請求項に係る発明が、「先の出願の当初明細書等」との関係において、新規事項の追加されたものとなる場合には、国内優先権の主張の効果が認められない。すなわち、当該補正が、請求項に係る発明に、「先の出願の当初明細書等に記載した事項」との関係において、新たな技術的事項を導入するものであった場合には、優先権の主張の効果が認められない。

4-2. 東京高判平成15年10月8日(平成14年(行ケ)第539号)[人工乳首]

後の出願の特許請求の範囲の文言が,先の出願の当初明細書等に記載されたものといえる場合であっても,後の出願の明細書の発明の詳細な説明に,先の出願の当初明細書等に記載されていなかった技術的事項を記載することにより,後の出願の特許請求の範囲に記載された発明の要旨となる技術的事項が,先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項の範囲を超えることになる場合には,その超えた部分については優先権主張の効果は認められないというべきである。

……特許法41条2項の適用については,後の出願に係る発明が先の出願の請求項についての補正として提出されたと仮定した場合に,先の出願の当初明細書等に記載した事項の範囲内の補正と認められるか否かを判断して決すべきであるという原告の主張は,それ自体としては,首肯するに足りる。

4-3. 知財高判平成18年11月30日(平成17年(行ケ)第10737号)[殺菌剤]

パリ条約による優先権主張の利益を享受するためには,上記……において判示したとおり,優先権主張の対象である第1国出願に係る出願書類全体から一つの完成した発明が把握される必要がある。また,本願発明は化学物質の発明であるが,化学物質につきパリ条約による優先権主張の利益を享受するためには,第1国出願に係る出願書類において単に化学構造式や製造方法を示して理論上の製造可能性を明らかにしただけでは足りず,当該出願書類全体から当該化学物質が現実に存在することが実際に確認できることを要するものと解するのが相当である。けだし,化学構造式や製造方法を机上で作出することは容易であるが,それだけでは単に理論上の可能性を示唆するにとどまるものであって,現実に製造できることが確認されない限り,実施可能な発明として完成しているものと評価することはできないからである。

4-4. 大阪地判平成20年10月6日(平成18年(ワ)第7760号等)[ケモカイン受容体]

本件基礎出願1の明細書には,ケモカイン受容体88C(CCR5)と結合するケモカイン(リガンド)についての記載がなく,88Cの機能が開示されていないこととなり,産業上の利用可能性ないし実施可能性要件を欠き,また,最初の出願に係る出願書類の全体により本件各発明が明らかにされているということもできない。したがって,本件特許は,本件基礎出願1に基づく優先権を享受することができない。

5. 雑感

優先権の有効性の判断基準として、特許庁(審査基準)は、《新規事項追加(非該当)基準》を採っている(上記4-1)。
実際、本件審決において、特許庁審判部は「国内優先権主張の効果が認められるためには、請求項に係る発明が、優先権主張の基礎とされた出願の出願書類全体に記載した事項との関係において、新たな技術的事項を導⼊するものでない(すなわち、新規事項の追加にあたらない)ことを必要とする。」と述べている。
そして、[人工乳首]東京高判も、この基準を認めていると考えられる(上記4-2)。

他方、別の基準を採用する裁判例もある。
[殺菌剤]知財高判は、基礎出願時点における「実施可能な発明として完成」を要求しており(上記4-3)、
[ケモカイン受容体]大阪地判は、基礎出願時点における「産業上の利用可能性ないし実施可能性要件」の充足*8および(あるいは「または」か?)発明の開示*9を要求している(上記4-4)。

それでは、本事案において、知財高裁はどのような基準を採ったのか。
よく分からない、というのが、私の感想である。

まず、知財高裁は、上記3-1で示したように、「優先権出願1の明細書等に記載された技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入するものとはいえない」(から優先権主張の効果が認められる)と述べている。
「新たな技術的事項を導入」という表現からは、《新規事項追加(非該当)基準》を採ったように読める(知財高大判平成20年5月30日(平成18年(行ケ)第10563号)[ソルダーレジスト]参照)。

しかし、上記3-2-1および3-2-2で示したように、本件において知財高裁は、基礎出願時における発明の完成および実施可能要件充足も、優先権主張効果を認めるための要件として考えているかのような判示もしている。

とくに理解できないのが*10、3-2-2で引用した「「後の出願の特許請求の範囲に記載された発明の要旨とする技術的事項が、先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項を超える」ものか否かという判断は、実施例が追加された後の出願の特許請求の範囲に記載された発明が先の出願の当初明細書等の記載事項との関係において実施可能であるかを判断するものと解される。」という部分である。
「後の出願の特許請求の範囲に記載された発明の要旨とする技術的事項が、先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項を超える」ものか否かという判断は、上記3-1において、既になされているのである。3-1における判断では、実施可能性については明示的には判断されていない。
そのような中、3-2-2では、「実施可能であるかを判断するものと解される」と知財高裁による要件の解釈を新たに示した上で、3-1で一度行なったはずの、技術的事項を超えるか否かの判断をやり直しているように感じられるのである。
上記3-1で引用した判示と、上記3-2-2で引用した判示と、の関係が理解できない。

加えて疑問なのは、上記3-2-3で「優先権主張の効果とサポート要件とは異なる要件の問題であり、優先権出願の明細書等にサポート要件違反の発明があったかという観点を考慮すべきとはいえない。」と述べている点である。
知財高裁の論理に従えば、サポート要件のみならず、実施可能要件についても、優先権主張の効果は異なる要件の問題とも言えそうである(が、知財高裁は、上記3-2-2のとおり、特段の理由を示さず、優先権主張の効果を実施可能要件と結びつけて判断している)
事案としては、基礎出願明細書に「発明の効果に関するメカニズムや各構成要件の技術的意義」が記載されており、基礎出願時点でサポート要件も充足していると判断できるものであると考えられ、なにゆえ、サポート要件に関する原告主張を「前提において失当」として実体的判断を示さずに排斥したのか、やや理解に苦しむ*11

このように、本判決における優先権の有効性の判断基準は不分明なのであるが、事案としては、上述したように、基礎出願明細書に「発明の効果に関するメカニズムや各構成要件の技術的意義」が記載され、また、本件訂正発明1の範囲内ではEBAAPとイカリジンとは同様の作用を奏することを基礎出願出願時に当業者が理解していた(と事実認定された)、というものであり、優先権の有効性を認めた結論自体は、妥当だと思われる。

実務上は、優先権主張を伴う「実施例補充型」出願における優先権の有効性判断にあたり、基礎出願明細書等における発明の効果に関するメカニズムの記載や各発明特定事項の技術的意義の記載、および、それら記載が補充された実施例にも適用可能なものか、が重視されることになるのだろう。

更新履歴

  • 2024-04-14 公開
  • 2024-04-21 「5. 雑感」の「知財高裁の論理に従えば、」で始まる一文を、文意が明確となるように修正。

*1:この場合の優先権が、パリ条約による優先権ではなく、国内優先権であることにつき、『特許・実用新案審査基準』第V部 第2章 別添表「特許協力条約に基づく国際出願と優先権との関係」(令和5(2023)年3月22日最終改訂)参照。

*2:本稿では略す。

*3:引用者注:改行等を引用者が追加した。本件出願の請求項1についても同。

*4:引用における強調は引用者による。また、「知財高裁による一般論および本事案における当てはめ」等の項名も引用者による。

*5:引用者注:かぎ括弧が付されているが、これまでの判示からの正確な引用ではない。正確な引用は「後の出願の特許請求の範囲に記載された発明の要旨となる技術的事項が、先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項の範囲を超える」となろう。

*6:引用における強調は引用者による。

*7:『特許・実用新案審査基準』第V部 第2章 令和5(2023)年3月22日最終改訂。

*8:「産業上の利用可能性」と「実施可能性要件」の両者を充たす必要があるのか、一方のみの充足でも良いのかは、不明。

*9:サポート要件のことを意味しているのかは、不明。

*10:3-2-1における、発明完成についての判断は、原告主張を受けての“リップサービス”と捉えることも可能かも知れない。

*11:原告主張が「優先権出願1の明細書にサポート要件違反の発明があったことを前提とし」たものであったから、その前提を置くのが誤りということで、「前提において失当」と知財高裁は判断したのかも知れないが。