特許法の八衢

特許裁判例を読む―インクタンク事件を素材に(1)

はじめに

本稿は、(特許法初学者である)私が普段、特許裁判例*1をどのように読んでいるかを、ただただ述べたものである(これが正しい読み方だというつもりは毛頭ない)。素材としては、インクタンク事件判決(東京地判平成16年12月8日(平成16年(ワ)第8557号)知財高大判平成18年1月31日(平成17年(ネ)第10021号)最一小判平成19年11月8日(平成18年(受)第826号))を採り上げた。本件は、特許権消尽という重要な論点を取り扱っているほか、知財高裁大合議判決が初めて最高裁により審理された案件でもあり、興味深いものと考えるからである。

特許法入門者向けの内容であるが、読者が特許法のごく初歩的な知識を持っていることは前提とする。

なお、裁判所Webページに掲載されているPDFファイルは、判決書(民事訴訟法253条)そのものではない(匿名処理などがなされている)が、多くの場合、このPDFファイルで判決書の内容を十分に把握できるため、本稿でも、裁判所Webページ掲載のPDFファイルを利用する。

ところで、判決文の表記は、基本的に「公用文作成の要領」(昭和27年内閣官房長官依命通知別紙)に従っており*2、とくに項目の細別が以下のような記号で示されるのを知っておくことは、判決文全体の構造を把握するのに有益であろう。

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「公用文作成の要領」より抜粋

さて、本件のように各審級の判決が出ている場合、最高裁判決から高裁判決そして地裁判決、と遡って読む方法もあろうが、本稿では、時系列順に地裁判決から見ていくことにしよう。以下、一重枠で囲んだ部分が判決文の引用である(「……」は省略を示す。また強調は、特段の記載がない限り、引用者によるものである)。

東京地判平成16年12月8日 [1]

平成16年(ワ)第8557号特許権侵害差止請求事件
口頭弁論終結日平成16年10月13日

判決

原告 キャノン株式会社
同訴訟代理人……
被告 リサイクル・アシスト株式会社
同訴訟代理人……

まず、「平成16年(ワ)第8557号」は事件番号と言われるものであるが、ここでは平成16年に裁判所が本事件を受理したこと(事件番号に記載の年が判決のなされた年とは限らない点に注意)を理解すれば十分であろう*3。「特許権侵害差止請求事件」は読んで字のごとくである*4。「口頭弁論終結日」は、その時点の事実等に基づいて判決が下されているため、重要なものであるが、さしあたりその存在を知っておけば良い。

また、「判決」と記載されているので、本裁判の形式が判決であることが分かる*5。裁判の形式には判決のほかに、決定および命令というものがある*6が、ここでは説明を省く。

加えて、両当事者(原告および被告)の名前*7と、両当事者とも代理人を立てている=本人訴訟ではない点だけを押さえておけば問題ないだろう*8


主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1 請求
1 被告は,別紙物件目録(1)及び(2)記載のインクタンクの輸入若しくは販売又は販売のための展示をしてはならない。
2 被告は,別紙物件目録(1)及び(2)記載のインクタンクを廃棄せよ。

第2 事案の概要
本件は,インクジェットプリンタ用のインクタンクに関し特許権を有する原告が,上記特許権の実施品である原告製品の使用済み品を利用して製品化された被告製品を輸入する被告に対し,上記特許権に基づき,製品の輸入,販売等の差止め及び廃棄を求めたのに対し,被告が特許権の消尽等を主張してこれを争った事案である。

以上の記載から、原告は特許権者であり、被告の行為が特許権侵害であると主張したが、その請求は一切認められなかった(「原告の請求をいずれも棄却する」)こと、「特許権の消尽」も争点になっていることなどが分かる。原告が請求したのは被疑侵害品の差止め・廃棄のみで、損害賠償請求は行なっていない点にも、留意しておきたい。


1 前提事実
証拠を掲記しない事実は,当事者間に争いのない事実(明らかに争わない事実を含む。)である。

(1) 原告の有する特許権
原告は,次の特許権を有している(その特許請求の範囲の請求項1の発明を「本件発明1」といい,請求項10の発明を「本件発明10」という。)
特許番号 第3278410号
……。

(2) 構成要件の分説
ア 本件発明1を構成要件に分説すると,次のとおりである(以下「構成要件A」などという。)。

A 互いに圧接する第1及び第2の負圧発生部材を収納するとともに液体供給部と大気連通部とを備える負圧発生部材収納室と,
B 該負圧発生部材収納室と連通する連通部を備えると共に実質的な密閉空間を形成するとともに前記負圧発生部材へ供給される液体を貯溜する液体収納室と,
C 前記負圧発生部材収納室と前記液体収納室とを仕切るとともに前記連通部を形成するための仕切り壁と,
D を有する液体収納容器において,
E 前記第1及び第2の負圧発生部材の圧接部の界面は前記仕切り壁と交差し,
F 前記第1の負圧発生部材は前記連通部と連通するとともに前記圧接部の界面を介してのみ前記大気連通部と連通可能であると共に,
G 前記第2の負圧発生部材は前記圧接部の界面を介してのみ前記連通部と連通可能であり,
H 前記圧接部の界面の毛管力が第1及び第2の負圧発生部材の毛管力より高く,かつ(I及びJは欠番),
K 液体収納容器の姿勢によらずに前記圧接部の界面全体が液体を保持可能な量の液体が負圧発生部材収納室内に充填されている
L ことを特徴とする液体収納容器。


イ 本件発明10を構成要件に分説すると,次のとおりである。

A’ 互いに圧接する第1及び第2の負圧発生部材を収納するとともに液体供給部と大気連通部とを備える負圧発生部材収納室と,
B’ 該負圧発生部材収納室と連通する連通部を備えると共に実質的な密閉空間を形成するとともに前記負圧発生部材へ供給される液体を貯溜する液体収納室と,
C’ 前記負圧発生部材収納室と前記液体収納室とを仕切るとともに前記連通部を形成するための仕切り壁と,を有し(D’は欠番),
E’ 前記第1及び第2の負圧発生部材の圧接部の界面は前記仕切り壁と交差し,
F’ 前記第1の負圧発生部材は前記連通部と連通するとともに前記圧接部の界面を介してのみ前記大気連通部と連通可能であると共に,
G’ 前記第2の負圧発生部材は前記圧接部の界面を介してのみ前記連通部と連通可能であり,
H’ 前記圧接部の界面の毛管力が第1及び第2の負圧発生部材の毛管力より高い
I’ 液体収納容器を用意する工程と,
J’ 前記液体収納室に液体を充填する第1の液体充填工程と,
K’ 前記負圧発生部材収納室に,前記液体収納容器の姿勢によらずに前記圧接部の界面全体が液体を保持可能な量の液体を充填する第2の液体充填工程と,
L’ を有することを特徴とする液体収納容器の製造方法。

冒頭に「証拠を掲記しない事実は,当事者間に争いのない事実(明らかに争わない事実を含む。)である」とあるのは、当事者間に争いのある事実については、基本的に当事者の提出した証拠に基づいて判断される一方、当事者間に争いのない事実については、そのまま判決の基礎とする必要がある(民事訴訟法179条)からである*9

また、本件発明の分説において「(I及びJは欠番)」「(D’は欠番)」と書かれているのは、本件発明1(物の発明)の構成要件と本件発明10(生産方法の発明)の構成要件とがほとんど対応しており、一部の構成要件のみ、それぞれの発明に固有のものがあることを示している。

それにしても、上記クレームだけでは発明の内容がよく分からない。面倒だが、クレームのみならず、明細書や図面も確認して、発明の内容を把握しなければならないようである*10

特許発明

そこで、J-PlatPatから本件特許を検索して、図面を参照しつつ、本件明細書を(とくに従来技術との関係に注意して)ざっと読んでみよう(以下、二重枠で囲んだ部分が明細書からの引用である。「……」は省略を示す。また強調は引用者による。なお、技術にあまり興味のないかたは、この引用部分を読み飛ばして構わない)。

【0002】
【従来の技術】一般に、インクジェット記録分野で使用される液体収納容器としてのインクタンクは、インクを吐出するための記録ヘッドに対してインク供給を良好に行なうために、インクタンク内に貯溜されているインクの保持力を調整するための構成が設けられている。この保持力は、記録ヘッドのインク吐出部の圧力を大気に対して負とするためのものであることから、負圧、と呼ばれている。
【0003】このような負圧を発生させるためのもっとも容易な方法の一つとして、インクタンク内にウレタンフォーム等の多孔質体やフェルトなどのインク吸収体を備え、インク吸収体の毛管力(インク吸収力)を利用する方法が挙げられる。……。
【0004】……、本出願人は、特開平7-125232号公報、特開平6-40043号公報などにおいて、インク吸収体を利用しつつも、インクタンクの単位体積あたりのインク収容量を増加させ、且つ安定したインク供給を実現できる、液体収納室を備えたインクタンクを提案している。
【0005】図1(a)に上述の構成を利用したインクタンクの概略断面構成図を示す。インクカートリッジ10の内部は連通孔(連通部)40を有する仕切り壁(隔壁)38で2つの空間に仕切られている。一方の空間は仕切り壁38の連通孔40を除いて密閉されるとともにインク25を直接保持する液体収納室36、他方の空間は負圧発生部材32を収納する負圧発生部材収納室34になっている。この負圧発生部材収納室34を形成する壁面には、インク消費に伴う容器内への大気の導入を行うための大気連通部(大気連通口)12と、不図示の記録ヘッド部へインクを供給するための供給口14とが形成されている。図1において、負圧発生部材がインクを保持している領域については斜線部で示す。また、空間内に収納されているインクを網線部で示す。
……。
【0007】なお、図1(a)に示す例においては、負圧発生部材収納室とインク収納室の連通部の近傍に大気導入を促進するための構造としての大気導入溝50が設けられており、大気連通部近傍にはリブ42により負圧発生部材がない空間(バッファ室)44が設けられている。
……。
【0009】
【発明が解決しようとする課題】ところで、本発明者らにより、図1(a)に示すインクタンクの負圧発生部材として繊維材料を用いた構成について鋭意検討した結果、次のようなことが問題となる場合があることが分かった。
【0010】すなわち、物流時などの使用開始前の状態を想定し、図1(b)に示すように液体収納室を負圧発生部材収納室に対して重力方向上方に位置させて放置したところ、連通部を介して液体収納室に気体が導入されることで液体収納室の液体が負圧発生部材へと漏れだし、バッファ室にインク25が溢れ出る場合があることが分かった。このようにインクがバッファ室に溢れ出ると、開封時に大気連通口から溢れ出て使用者の手などを汚したり、液体供給口からインクが滴れて使用者の手などを汚してしまう恐れがある。
……。
【0037】
【発明の実施の形態】以下に、本発明の実施例の詳細を図面に基づいて説明する。
……。
【0040】(第1実施例)図2は本発明の第1実施例の液体収納容器の概略説明図であり、(a)は断面図、(b)は、容器の液体収納室側を上方にした時の断面図である。
【0041】図2(a)において、液体収納容器(インクタンク)100は、上部で大気連通口112を介して大気に連通し下部でインク供給口に連通し内部に負圧発生部材を収容する負圧発生部材収納室134と、液体のインクを収容する実質的に密閉された液体収納室136とに隔壁138でもって仕切られている。そして、負圧発生部材収納室134と液体収納室136とはインクタンク100の底部付近で隔壁138に形成された連通部140及び液体供給動作時に液体収納室への大気の導入を促進するための大気導入路150を介してのみ連通されている。負圧発生部材収納室134を画成するインクタンク100の上壁には、内部に突出する形態で複数個のリブが一体に成形され、負圧発生部材収納室134に圧縮状態で収容される負圧発生部材と当接している。このリブにより、上壁と負圧発生部材の上面との間にエアバッファ室が形成されている。
【0042】また、供給口114を備えたインク供給筒には、負圧発生部材より毛管力が高くかつ物理的強度の強い圧接体146が設けられており、負圧発生部材と圧接している。
【0043】本実施例の負圧発生部材収納室内には、負圧発生部材として、ポリエチレンなどオレフィン系樹脂の繊維からなる第一の負圧発生部材132B及び第二の負圧発生部材132Aの2つの毛管力発生型負圧発生部材を収納している。132Cはこの2つの負圧発生部材の境界層であり、境界層132Cの仕切り壁138との交差部分は、連通部を下方にした液体収納容器の使用時の姿勢(図2(a))において大気導入路150の上端部より上方に存在している。また、負圧発生部材内に収容されているインクは、インクの液面Lで示されるように、上記境界層132Cよりも上方まで存在している。
【0044】ここで、第一の負圧発生部材と第二の負圧発生部材の境界層は圧接しており、負圧発生部材の境界層近傍は他の部位と比較して圧縮率が高く、毛管力が強い状態となっている。すなわち、第一の負圧発生部材の毛管力をP1、第二の負圧発生部材の持つ毛管力をP2、負圧発生部材同士の界面の持つ毛管力をPSとすると、P2<P1<PSなっている。
【0045】次に、このような液体収納容器を、非使用時に姿勢を変化させた場合の内部に収容されている液体の状態について、図2(b)を用いて説明する。
【0046】図2(b)は例えば物流時などに起りうる、液体収納室が鉛直上方になった姿勢である。このような姿勢で放置されると、負圧発生部材内のインクは毛管力の低い方から高い方へと移動し、インクと大気の界面Lの水頭と、負圧発生部材境界層132Cに含まれるインクの水頭との間に、水頭差が生じる。ここで、この水頭差がP2とPSの毛管力差より大きい場合、界面132Cに含まれるインクはこの水頭差がP2とPSの毛管力差と等しくなるまで第二の負圧発生部材132Aに流入しようとする。
【0047】しかし、本実施例のインクタンクでは、水頭差がhがP2とPSの毛管力差より小さく(あるいは等しく)なっているので、界面132Cに含まれるインクは保持され、第二の負圧発生部材に含まれるインクの量は増加することはない。
【0048】他の姿勢の時にはインク-大気界面Lの水頭と、負圧発生部材界面132Cに含まれるインクの水頭との差は、P2とPSの毛管力差よりさらに小さくなるので、界面132Cは、その姿勢に関わらず、その全域にインクを有した状態を保つことができるようになっている。そのため、いかなる姿勢においても、界面132Cが、仕切り壁と負圧発生部材収納室に収納されるインクと協同して、連通部140及び大気導入路150からの液体収納室への気体の導入を阻止する気体導入阻止手段として機能し、負圧発生部材からインクが溢れ出ることはない。
……。
【0050】このように、毛管力の弱い負圧発生部材の方が毛管力の高い負圧発生部材に対して固くなるように毛管力発生部材を組み合わせ、それらを圧接させることで、本実施例の負圧発生部材同士の界面は、第一の負圧発生部材の方がつぶれる事により、毛管力の強さをP2<P1<PSとすることができる。さらに、P2とPSの差を必ずP2とP1の差以上とすることが出来るので、単に2つの負圧発生部材を当接させたものに比べて、確実に毛管力発生部材の境界層でインクを保持することが出来る。
【0051】本実施例では、上述のように毛管力の強い境界層を設けることで、疎密のばらつきを考慮したP1とP2の毛管力範囲が負圧発生部材内の疎密のばらつきによりオーバーラップしたとしても、界面に上記条件を満たす毛管力があるので、上述したような負圧発生部材収納室への非使用時の不用意なインク流入を防止することが出来る。
……。
【0105】まず、液体の注入方法について説明する。第1実施例の場合を例にとると、液体の入っていない容器を用意し、液体収納室を液体で充填すると共に負圧発生部材収納室にも液体収納容器の姿勢によらずに絶えず負圧発生部材の境界層全体が液体を保持可能な量の液体を充填する。このようにして所定量の液体を注入された液体収納容器は、境界層が気体導入阻止手段として機能することが出来るようになる。それぞれの室への液体の注入方法は、公知の方法が利用できる。
……。
【0127】
【発明の効果】以上説明したように、本出願に係る第一の発明によれば、連通部近傍の負圧発生部材中には常に液体が収納され、液体供給部から外部への液体供給時以外の連通部から液体収納室への気体の導入を阻止することが出来るので、使用開始前の状態で物流を経ても安定したインク供給を行えるインクタンクを提供することが出来る。
【0128】また、本出願に係る第二の発明によれば、二つの負圧発生部材を圧接させる際のそれぞれの部材の毛管力と硬さと界面との関係に基づき、上述のインクタンクを提供することが出来る。

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本件特許権に係る図1および2に説明を付記したもの

以上を見ると、従来技術(図1)では、インクタンクが横になった際にインクが溢れ出るという課題があり、それを解決するため、第1の負圧発生部材および第2の負圧発生部材という二つの負圧発生部材を用いるというのが本件発明のようである。もう少し詳細に言うと、本件発明では、二つの負圧発生部材を圧接させその境界層(界面)の毛管力(インク吸収力)を各負圧発生部材の毛管力よりも大きくすること、および、界面の全域がインクを有した状態に保たれるようにすることで、界面を気体導入阻止手段として機能させ、(その結果、必要な場合以外は液体収納室に気体[大気]が入らなくなり)インクが溢れ出るという従来技術の課題を解決している。

このままだと、「特許裁判例を読む」ではなく、「特許明細書を読む」になってしまうので、判決文に戻ろう。

東京地判平成16年12月8日 [2]

(3) 原告製品
ア 原告は,本件発明1及び10の実施品として,製品番号BCI-3eBK,BCI-3eY,BCI-3eM,BCI-3eCのインクジェットプリンタ用インクタンク(以下「原告製品」又は「本件インクタンク」という。)を日本国内で製造し,一部を日本国内で販売している。
イ 海外においては,原告,原告関連会社又は商社が,原告製品を販売している。
ウ 少なくとも原告又は原告関連会社が海外で販売した原告製品については,国際消尽の問題となると考えられるところ,原告又は原告関連会社は,海外における原告製品の譲受人との間で,販売先又は使用地域から我が国を除外する旨の合意をしていないし,その旨の合意をしたことを原告製品に明確に表示していない。

通常の特許権侵害訴訟において、原告(特許権者)の製品が議論されるのは損害額の算定の部分であるが、今回は事案の関係で、ここに(も)現れている。

「国際消尽の問題となると考えられるところ,原告又は原告関連会社は,海外における原告製品の譲受人との間で,販売先又は使用地域から我が国を除外する旨の合意をしていないし,その旨の合意をしたことを原告製品に明確に表示していない。」という記述は、BBS事件最高裁判決(最三小判平成9年7月1日民集51巻6号2299頁)を前提としてのものである。ここで「民集」とは何かについて簡単に述べておく。民集とは(この文脈では)「最高裁判所民事判例集」の略語であって、最高裁の公式の判例集である。この民集には全ての最高裁判決・決定が掲載(「登載」という表現がよく使われる)されるのではなく、判例委員会*11が重要なものだと判断した判決・決定のみが登載される。したがって、民集51巻6号2299頁以降に登載されている、BBS事件最高裁判決は非常に重要な判決であると言え、本地裁判決でもこの最高裁判決が前提とされているのである。


(4) 被告製品
ア 被告は,中国マカオにある会社(以下「甲会社」という。)から,別紙物件目録(1)及び(2)記載の構成を有するインクタンクを輸入した。別紙物件目録(1)記載の製品と同目録(2)記載の製品とは,容器の幅が異なるだけで,その余の構造は同一である(以下,これらの製品を「被告製品」という。)。
イ 甲会社の関連会社(以下「乙会社」という。)は,原告製品のインクを使い切って残ったインクタンク本体(以下「本件インクタンク本体」という。)を北米,欧州及び日本を含むアジアから収集し,それを乙会社の子会社(以下「丙会社」という。)に売却している。
ウ 丙会社は,次の手順で,本件インクタンク本体から製品化している。
① 本件インクタンク本体の液体収納室の上面に,洗浄及びインク注入のための穴を開ける。
② 本件インクタンク本体を洗浄する。
③ 本件インクタンク本体のインク供給口からインクが漏れないようにする措置を施す。
④ ①の穴から,負圧発生部材収納室の負圧発生部材の圧接部の界面を超える部分まで及び液体収納室全体にインクを注入する。
⑤ ①の穴及びインク供給口に栓をする。
⑥ ラベル等を装着する。
エ 甲会社は,丙会社から,被告製品を買い入れ,これを日本に輸出している。
(ア~エにつき,争いのない事実,甲8,乙30,弁論の全趣旨)

最後に書かれた、「甲8」というのは原告が提出した証拠、「乙30」というのは被告が提出した証拠を示す。このように、原告の提出した証拠には「甲○」と、被告の提出した証拠には「乙○」と、それぞれ番号付けされる。また、裁判所は、証拠調べの結果に加え「口頭弁論の全趣旨」を斟酌して判決できる(民事訴訟法247条)ため、上記では「弁論の全趣旨」も事実認定の根拠となっている。

ここで、いわゆる属地主義を考慮すると、各者の行為が、日本国内で行なわれたのか、それとも海外で行なわれたのかは、意識しておきたいところである。これを踏まえ、原告製品がどのように(途中、被告製品に製品化されて)流通しているかを整理すると、次のように二つに分けられよう。

  • 原告等(国内)→消費者(国内)[インクを使い切る]乙会社→丙会社[インクタンクを加工しインクを再充填する]→甲会社(海外)→被告(国内)→消費者(国内)
  • 原告等(海外)→消費者(海外)[インクを使い切る]乙会社→丙会社[インクタンクを加工しインクを再充填する]→甲会社(海外)→被告(国内)→消費者(国内)

前者につき国内消尽の成否が、後者につき「国際消尽」*12等の成否が、それぞれ問題となる。


オ 被告は,平成16年6月まで被告製品の輸入販売を行っていたが,税関による輸入禁制品の認定手続が開始されるなどしたため,この訴訟の係属中,その輸入を中止している。
上記は、差止請求の対象行為のうち、「輸入」は、現時点(口頭弁論終結日時点)でなされていないことを示すために述べられているのであろう。なお、税関による知的財産侵害物品の認定手続等につき、税関のウェブページに説明がある。


(5) 被告製品の構成要件充足性

ア 本件発明1について
(ア) 構成要件A(負圧発生部材収納室)について
被告製品の構成(前記(4)ア)によれば,被告製品は,構成要件Aを充足する(一部は,当事者間に争いがない。)。
……。
(オ) 構成要件E(交差)について
a 被告製品の構成によれば,被告製品の「界面18」が本件発明1の「第1及び第2の負圧発生部材の圧接部の界面」に当たり,仕切り壁17に突き当たっているから,本件発明1の「圧接部の界面は前記仕切り壁と交差し」の要件を充たしている。よって,被告製品は,構成要件Eを充足する。
b 被告は,交差とは斜めや十字に交わることを意味するから,界面18が仕切壁17に突き当たって接しているだけでは,交差とはいえない旨主張する。しかしながら,一般的用語法において,「交差」とは,「2本以上の線状のものが,1点で重なること」(大辞林第二版)と定義され,「丁字路交差点」のように使用されているから,交差とは,ある線に他の線が突き当たって接しているものを含んでいる。また,本件明細書【0043】には,「境界層132Cの仕切り壁138との交差部分は,連通部を下方にした液体収納容器の使用時の姿勢(図2(a))において大気導入路150の上端部より上方に存在している。」と記載され,図2(a)には,負圧発生部材圧接部の界面が仕切り壁に突き当たって接している状態が図示されている。したがって,構成要件Eにいう「圧接部の界面は前記仕切り壁と交差し」は,界面が仕切り壁に突き当たって接している構成を含むと解すべきであるから,被告の上記主張は採用することができない。
……。
(サ) まとめ
以上のとおり,被告製品は本件発明1の構成要件をすべて充足しており,その技術的範囲に属する。

イ 本件発明10について
(ア) 構成要件A’~C’及びE’~H’について
……。
(カ) まとめ
以上のとおり,被告製品の製造方法は,本件発明10の構成要件をすべて充足しており,その技術的範囲に属する。

構成要件充足性について当事者間で争いがある場合、多くの判決では後記の「当裁判所の判断」の項で述べられることが多いが、本判決では、「事案の概要」の項で、比較的簡単に被告製品・方法の構成要件充足を認めている。構成要件充足性は本件において重要な争点ではない、と裁判所が考えたためであろう。


2 争点
(1) 原告製品の日本国内及び海外における販売により,物の発明である本件発明1についての特許は消尽したか。
(2) 原告製品の日本国内及び海外における販売により,物の生産方法の発明である本件発明10についての特許は消尽したか。又は黙示の許諾があったか。

両当事者および裁判所により整理された「争点」が示されている。物の発明と物の生産方法の発明とで異なる議論が必要である、と考えられたようである。


3 争点(1)(物の特許の消尽)に関する当事者の主張
(1) 原告の主張
……。
(2) 被告の主張
……。
4 争点(2)(製造方法の特許の消尽等)に関する当事者の主張
(1) 原告の主張
……。
(2) 被告の主張
……。
「当事者の主張」の項はさしあたり読み飛ばそう。すぐ後で述べる「当裁判所の判断」において、判断に必要な当事者の主張は言及されることが多いからである。なお念のために述べるが、この「当事者の主張」の項の事項を、裁判所の判断事項と誤解してはならない。

さて、次から、判決のメインである「当裁判所の判断」が始まるので、項をあらためよう。

東京地判平成16年12月8日 [3]

東京地判平成16年12月8日 [3-1] ― 物の発明について

東京地判平成16年12月8日 [3-1-1] ― 国内消尽についての一般論

第3 当裁判所の判断

1 争点(1)(物の特許の消尽)について
(1) 法律論
ア 国内消尽について
(ア) 特許権者が我が国の国内において特許発明に係る製品を譲渡した場合には,当該特許製品については特許権はその目的を達したものとして消尽し,もはや特許権の効力は,当該特許製品を使用し,譲渡し又は貸し渡す行為等には及ばないものというべきである(BBS事件最高裁判決)。
しかしながら,特許権の効力のうち生産する権利については,もともと消尽はあり得ないから,特許製品を適法に購入した者であっても,新たに別個の実施対象を生産するものと評価される行為をすれば,特許権を侵害することになる。
(イ) そして,本件のようなリサイクル品について,新たな生産か,それに達しない修理の範囲内かの判断は,特許製品の機能,構造,材質,用途などの客観的な性質,特許発明の内容,特許製品の通常の使用形態,加えられた加工の程度,取引の実情等を総合考慮して判断すべきである。
特許製品の製造者,販売者の意思は,価格維持の考慮等が混入していることがあり得るから,特許製品の通常の使用形態を認める際の一事情として考慮されるにとどまるべきものである。

まず、国内消尽の一般論につき、BBS事件最高裁判決を引用している(もっとも、BBS事件最高裁判決における「国内消尽」の判示は、当該判決の結論の理由付けと直接の関係はないもの=傍論*13ではある)。なお、上記判示部分からは「特許製品」の定義が不明であるところ、BBS事件最高裁判決では「特許権者又は特許権者から許諾を受けた実施権者から当該特許発明に係る製品(以下「特許製品」という。)」と一応の定義がなされている(「係る」の意義が非常に曖昧だが)。

次いで、「特許権の効力のうち生産する権利については,もともと消尽はあり得ないから,特許製品を適法に購入した者であっても,新たに別個の実施対象を生産するものと評価される行為をすれば,特許権を侵害することになる」との判示から、本裁判所は、いわゆる「生産アプローチ」および「消尽アプローチ」の二分類*14のうち、「生産アプローチ」を採ったことが分かる。

続く、「本件のようなリサイクル品について,新たな生産か,それに達しない修理の範囲内かの判断は,特許製品の機能,構造,材質,用途などの客観的な性質,特許発明の内容,特許製品の通常の使用形態,加えられた加工の程度,取引の実情等を総合考慮して判断すべきである。」は、「新たな生産か,それに達しない修理の範囲内か」の判断は様々な事象を総合考慮することによる決まる、と述べているに止まる。なお、「本件のようなリサイクル品について」という前置きは、この判断基準の射程を「リサイクル品」についてのみに限定しようとするものなのか否か、判然としない。

最後に、「特許製品の製造者,販売者の意思は,価格維持の考慮等が混入していることがあり得るから,特許製品の通常の使用形態を認める際の一事情として考慮されるにとどまるべきものである。」とあるのは、消尽の成否は一般に、特許権者等の意思に拘わらず決まる、と考えられている点を考慮しての判示であろう。

東京地判平成16年12月8日 [3-1-2] ― 「国際消尽」についての一般論

イ 国際消尽について
(ア) 我が国の特許権者又はこれと同視し得る者が国外において特許製品を譲渡した場合においては,特許権者は,譲受人に対しては,当該製品について販売先ないし使用地域から我が国を除外する旨を譲受人との間で合意した場合を除き,譲受人から特許製品を譲り受けた第三者及びその後の転得者に対しては,譲受人との間で上記の旨の合意した上特許製品にこれを明確に表示した場合を除いて,当該製品について我が国において特許権を行使することは許されないものと解される(BBS事件最高裁判決)。
(イ) しかしながら,上記のような場面においても,上記アと同様な事情が認められる場合には,特許権者による権利行使は許されると解される。

ここでは、BBS事件最高裁判決を引きつつも、いかなる場合であっても(特許発明を「生産」する権原なき者が)「新たに別個の実施対象を生産するものと評価される行為をすれば,特許権を侵害することになる」ことが述べられている。

東京地判平成16年12月8日 [3-1-3] ― 上記一般論に関する原告主張に対する判断

ウ 原告の主張に対する判断
原告は,インクを使い切った本件インクタンクが廃棄された後のリサイクル業者の行為に関しては,新たな生産か修理かを判断する必要がない旨主張する。
しかしながら,特許製品を譲り受けた者は消尽等によりその使用及び譲渡等を自由に行うことができるものであるから,新たな生産か否かが問題とされる行為を行った者が原告からの直接の購入者であるか転得者であるかは,新たな生産か修理かの判断に影響せず,ただ,インクを使い切った本件インクタンクが消費者によって廃棄され又はリサイクルに付されたという事情が,新たな生産か修理かの判断の考慮要素である取引の実情の一部として考慮される関係にあるものと考えられる。
よって,原告の上記主張は,採用することができない。

原告は、(先ほど読み飛ばした「当事者の主張」の項によると)「この判示[引用者注:BBS事件最高裁判決の判示]は,消尽論は,通常の取引過程・流通過程を前提として,特許権が市場における商品の自由な流通を阻害しないための法理であることを示している。……この法理によれば,使い捨て商品である特許製品の購入者が,その特許製品を使い切り,使用価値が無くなったと判断して廃棄し,資源回収のルートにゆだねた後に,その廃棄品を用いて行う製造が新たな生産として特許侵害行為となることは明らかである。よって,リサイクル業者の行為に関しては,新たな生産か修理かの判断はそもそも必要がない……。」と主張していた。この点について、裁判所の判断を示したのが、上記である。

東京地判平成16年12月8日 [3-1-4] ― 事実認定

(2) 事実認定
前提事実に,各項に掲記の証拠によれば,以下の事実が認められる。

ア 原告製品の構造等
……。

イ 本件発明1の構成,作用効果の概要
……。

ウ 取引の実情等
……。

この「事実認定」の項で認定された事実は、この後すぐ、裁判所自身がまとめているので、これもひとまず読み飛ばそう。

東京地判平成16年12月8日 [3-1-5] ― 法的判断

(3) 国内消尽について

ア 上記(2)に説示の事実をまとめれば,次のとおりである。

(ア) 特許製品の構造等
本件インクタンク本体は,インクを使い切った後も破損等がなく,インク収納容器として十分再利用することが可能であり,消耗品であるインクに比し耐用期間が長い関係にある。この点は,撮影後にフィルムを取り出し,新たなフィルムを装填すると,裏カバーと本体との間のフック,超音波溶着部分等が破壊されてしまう使い捨てカメラ事件判決の事案とは大きく異なっている。そして,液体収納室の上面に注入孔を開ければ,インクの再充填が可能である。インクの変質等に起因する障害を防止する観点からは,原告指摘のとおり本件インクタンク本体を再利用しないことが最良であるが,上記障害が有意なものであることの立証はないし,純正品を使うかリサイクル品を使うかは,本来プリンタの所有者がプリンタやインクタンクの価格との兼ね合いを考慮して決定すべき事項である。

(イ) 特許発明の内容
a 原告主張のとおり,本件発明1においては,毛管力が高い界面部分を有する構造と界面部分の上方までインクを充填することの組合せにより,輸送中のインクの漏れを防ぐ効果を奏しているものであるが,毛管力が高い界面部分を形成した構造が重要であり,界面部分の上方までインクを充填することは,上記構造に規定された必然ともいうべき充填方法であるといわざるを得ない。そして,本件インクタンク本体においては,上記毛管力が高い界面部分の構造は,インクを使い切った後もそのまま残存しているものである。
b また,本件発明1では,インクの充填は構成要件の一部を構成しているが,インクそれ自体は,特許された部品ではない。

(ウ) 取引の実情等
本件インクタンク本体は,もともとゴミとして廃棄されている割合が高かったが,環境保護及び経費削減の観点から,リサイクルされた安価なインクタンクへの指向が高まり,近年では,被告製品のような再充填品を売る業者の数が多くなり,平成16年4月に行われたアンケート調査結果によると,リサイクルインクカートリッジを現在利用している割合だけでも,8.8%に達している。そして,リサイクルされた安価なインクタンクへの指向は,今後更に高まることが予想される。

イ 以上の事実によれば,本件インクタンク本体にインクを再充填して被告製品としたことが新たな生産に当たると認めることはできないから,日本で譲渡された原告製品に基づく被告製品につき,国内消尽の成立が認められる。

最初に、裁判所は「特許製品」に着目している。「本件インクタンク本体は,インクを使い切った後も破損等がなく,インク収納容器として十分再利用することが可能であり,消耗品であるインクに比し耐用期間が長い関係にある」という判示から、特許製品の構造を、インクの再充填を認める(消尽成立を肯定する)方向に評価していることが分かる。「インクの変質等に起因する障害を防止する観点からは,原告指摘のとおり本件インクタンク本体を再利用しないことが最良であるが,上記障害が有意なものであることの立証はない」との判示は、「障害が有意であること」が立証できれば、消尽成立を否定する方向に参酌されることを示しているように思われるが、そのすぐ後の「本来プリンタの所有者がプリンタやインクタンクの価格との兼ね合いを考慮して決定すべき事項」という判示をみると、有意か否かは「プリンタの所有者」=一般消費者の視点が基準となろう。なお、上記判示で言及されている「使い捨てカメラ事件判決」とは、東京地判平成12年8月31日(平成8年(ワ)第16782号)のことである。この判決は消尽成立が否定された事案であるところ、被告は、当該事案が本件事案(インクタンク事件)とは異なる点を消尽成立の根拠の一つとして主張していたので、裁判所は念のためここで言及したのだと考えられる。

次いで、「特許発明」についての判示がある。まず「毛管力が高い界面部分を形成した構造が重要であり,界面部分の上方までインクを充填することは,上記構造に規定された必然ともいうべき充填方法である」と、特許発明のうち重要な部分(および重要ではない部分)を認定(あるいは判断)している。続く、「本件インクタンク本体においては,上記毛管力が高い界面部分の構造は,インクを使い切った後もそのまま残存している」との判示は、特許発明の内容自体というよりも、特許発明の内容を踏まえた、特許製品(被疑侵害製品)についての事実認定であろう。これら判示から、裁判所は、特許発明の内容も、インクの再充填を認める(消尽が成立する)方向に評価していると理解できる。最後の「インクそれ自体は,特許された部品ではない」は、インクの再充填のみでは特許権侵害とならないことを駄目押し的に述べているのだと思われる。

最後の「取引の実情等」について、本判決では、もっぱらリサイクルについて述べている。リサイクルインクカートリッジによるリサイクル促進を肯定的に捉えており、(本事案で被告の行為が特許権侵害だと認めるとリサイクルが妨げられることになるので)この点からも消尽成立を肯定する(特許権侵害を否定する)評価をしていると言える。

以上見てきたように、裁判所は、「特許製品」「特許発明」「取引の実情等」いずれの点についても、国内消尽をの成立を肯定する方向に評価しているので、当然ながら、これらを総合考慮した結果として、国内消尽の成立を認めている。


(4) 国際消尽について
また,前記(2)及び(3)アの事実によれば,海外で譲渡された原告製品に基づく被告製品についても,国際消尽の成立が認められる。

「国際消尽」について裁判所が述べた一般論からすれば当然なのだろうが、「国際消尽」の成立をあっさりと認めている。

ここで気になるのは、国際消尽(の成立)という用語を使っている点である。というのも、BBS事件最高裁判決は一般に国際消尽を否定したものと理解されているからである*15。それゆえ、本稿ではこれまで、カギ括弧つきで「国際消尽」を用いてきた。以降では、本地裁判決の用語法に沿って*16、カギ括弧をつけずに国際消尽と記載することにする。

東京地判平成16年12月8日 [3-2] ― 物を生産する方法の発明について

東京地判平成16年12月8日 [3-2-1] ― 国内消尽および国際消尽についての一般論

2 争点(2)(製造方法の特許の消尽等)について

(1) 法律論
ア 国内消尽について
物を生産する方法の特許についても,物の特許の場合と同様に(前記1(1)ア参照),国内消尽が成立し,特許権の効力は当該特許製品を使用し,譲渡し又は貸し渡す行為等には及ばないが,特許権の効力のうち生産する権利については,もともと消尽はあり得ないから,特許製品を適法に購入した者であっても,新たに別個の実施対象を生産するものと評価される行為をすれば,特許権を侵害することになる。
新たな生産か,それに達しない修理の範囲内かの判断は,特許製品の機能,構造,材質,用途などの客観的な性質,特許発明の内容,特許製品の通常の使用形態,加えられた加工の程度,取引の実情等を総合考慮して判断すべきである。

イ 国際消尽について
物を生産する方法の特許についても,物の特許の場合と同様に(前記1(1)イ参照),国際消尽が成立し,特許権の効力は当該特許製品を使用し,譲渡し又は貸し渡す行為等には及ばないが,特許権の効力のうち生産する権利については,もともと消尽はあり得ないから,特許製品を適法に購入した者であっても,新たに別個の実施対象を生産するものと評価される行為をすれば,特許権を侵害することになる。
新たな生産か,それに達しない修理の範囲内かの判断は,国内消尽の場合と同様に,上記アに掲げた諸事情を総合考慮して判断すべきである。

ウ 原告の主張に対する判断
原告は,物を生産する方法の発明の場合,当該製造方法が特許として認められている以上,その実施行為が特許法上の製造に当たることに議論の余地がないから特許製品の構造,特許発明の内容,取引の実情等に基づき新たな生産か修理かの判断を行う必要はない旨主張する。
しかしながら,特許された製造方法により生産された製品を譲り受けた者が,当該製品を使用し譲渡等する権利に基づき,その製品の寿命を維持又は保持するために当該特許製品を修理することができることは,物の特許の場合と同様であり,製造方法の特許についてだけ構成要件の一部に該当する行為があれば当然特許権侵害となると解すべき理由はない。したがって,物を生産する方法の特許の場合も,物の特許の場合におけると同様な考慮要素を総合して新たな生産か修理かを判断する必要があるというべきであり,これに反する原告の主張は採用することができない。

方法の発明に係る特許権について消尽が認められるか否かは議論があるが、本判決では「物を生産する方法の特許についても,物の特許の場合と同様に……,国内消尽が成立し,特許権の効力は当該特許製品を使用し,譲渡し又は貸し渡す行為等には及ばない」「物を生産する方法の特許についても,物の特許の場合と同様に……,国際消尽が成立し,特許権の効力は当該特許製品を使用し,譲渡し又は貸し渡す行為等には及ばない」と、物を生産する方法の発明に係る特許権について、正面から、国内消尽および国際消尽が成立することを認めている。もっとも、この文脈における「当該特許製品」とは、物を生産する方法の特許発明により生産された製品を指すのであろうから、(そういった「特許製品」が存在し得ない)単純方法の発明に係る特許権の消尽の成否について、本判決は何も述べていないのだろう。

東京地判平成16年12月8日 [3-2-2] ― 法的判断

(2) 国内消尽について
ア 原告製品の構造等,取引の実情等は,前記1(2)ア,ウ及び(3)ア(ア),(ウ)で認定したとおりである。
イ そして,本件発明10の構成,作用効果の概要は,前記1(2)イで認定し本件発明1のそれと異なるところはないから,前記1(3)ア(イ)で述べたことは,本件発明10にそのまま当てはまる。
ウ したがって,本件発明10についての特許の関係においても,本件インクタンク本体を用意し,特定の態様にインクを再充填して被告製品としたことが新たな生産に当たるものと認めることができないから,日本で譲渡された原告製品に基づく被告製品につき,国内消尽の成立が認められる。

(3) 国際消尽について
また,海外で譲渡された原告製品を再製品化した被告製品についても,上記(2)と同じ理由で,国際消尽の成立が認められる。

本稿の最初のほうで述べたように、本件発明1(物の発明)の各構成要件と本件発明10(物を生産する方法の発明)の各構成要件とはほぼ同一であるから、本判決における判断枠組みからすると、上記結論になるのは当然と言える。

東京地判平成16年12月8日 [3-3] ― 結論等

3 結論
よって,原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
上記について、ここで特記すべきことはない。なお、判決によっては、結論の後に「付言」が述べられることがある*17


東京地方裁判所民事第40部
 裁判長裁判官
  市川正巳
 裁判官
  頼晋一
 裁判官
  高嶋卓
最後に裁判体が示されている。本件は、3名の裁判官により審理されたことが分かる。地裁では、通常、単独審である(裁判所法26条1項)が、特許事件は運用上*18、全て合議審となっているようである。

なお、民事第40部は、東京地裁の知的財産権部(知財事件を専門的に扱う部)の一つである。


地裁判決の説明についてはこの辺りで終え、記事をあらためて、知財高裁大合議判決を見ていくことにする。

更新履歴

  • 2021-04-03 公開
  • 2021-04-05 判決・決定・命令について追記

*1:なお、「判例」と「裁判例」との違いについては、例えば、藤井康子「研究・実務に役立つ!リーガル・リサーチ入門 第6回 判例とは」情報管理55巻12号(2013)910頁以下参照。

*2:「新しい「公用文作成の要領」に向けて(報告)(令和3年3月12日)」も参照。

*3:符号「ワ」の意味については、https://www.courts.go.jp/app/picture/hanrei_help.htmlを参照。

*4:もっとも、この後すぐ見るように、原告は差止請求のみならず廃棄請求も行なっている。

*5:しかも、中間判決(民事訴訟法245条)ではなく、終局判決であることが分かる。中間判決の例としては、知財高中間判決平成23年9月7日(平成23年(ネ)第10002号)がある。

*6:決定の例としては、知財高大決平成26年5月16日(平成25年(ラ)第10007号)がある。命令については、特許事件では存在しないのではないかと思われる。

*7:原告につき、「キノン」ではなく、「キノン」なのではないか、という点は気になるが。

*8:業界のかたは、誰が代理人かにも注目するのだろう。とくに上訴審で代理人が変わった場合などは……。

*9:なお、裁判所に「顕著な事実」というものも存在する(民事訴訟法179条)。

*10:ちなみに、特許発明の内容を大まかに把握する際、特許権者(出願人)が拒絶理由通知に対して出した意見書の内容が参考になることも多いが、本件については、拒絶理由通知に対し、基本的に、拒絶理由の通知されていない請求項の発明のみを残す補正によって対応しており、意見書には参考となる情報がほとんど書かれていない。

*11:判例委員会規程(昭和22年12月15日最高裁判所規程第7号)参照。

*12:後述するように、BBS最高裁判決を考慮して、国際消尽との用語には、ひとまずカギ括弧を付けておく。

*13:「傍論」につき、例えば、三村量一「判例の規範定立機能について」知財管理61巻9号(2011)1301頁以下参照。

*14:簡潔な説明につき、平嶋竜太ほか『入門知的財産法〔第2版〕』(有斐閣,2020)50頁以下[平嶋竜太]。この分類法の提唱者による詳細な説明につき、横山久芳「本件知財高判判批」知財管理56巻11号(2006)1680頁以下。なお、「生産アプローチ」および「消尽アプローチ」それぞれに「広義」のものと「狭義」のものとがあるとの指摘につき、田村善之ほか『プラクティス知的財産法I 特許法』(信山社,2020)73頁以下。

*15:鈴木將文「本件知財高判判批」L&T32号(2006)84頁注5参照。

*16:なお、本件知財高裁大合議判決も、国際消尽につき、本地裁判決と同様の用語法を用いている。

*17:例えば、知財高判平成29年11月21日(平成29年(行ケ)第10003号)

*18:裁判所法26条2項4号に該当するのであろうか?