特許法の八衢

訂正要件の判断に誤りがあるとして審決を取り消した事案 ― 知財高判令和5年10月5日(令和4年(行ケ)第10126号)

判決概要

X(原告)の特許権について、Y(被告)が特許無効審判を請求した。審判においてXは訂正請求を行なったが、特許庁は、この訂正請求を認めず、さらに(訂正前の)本件発明1および2はサポート要件を満たさないと判断して、特許無効審決をなした。

そこで、Xが審決取消しを求め訴訟提起したところ、知財高判令和5年10月5日(令和4年(行ケ)第10126号)は、特許庁による訂正要件の判断には誤りがあり、また、サポート要件の判断対象となる発明は訂正後の発明であるとして、特許無効審決を取り消した。

本件発明および本件訂正発明

請求項1

本件発明1(訂正前の請求項1の記載)
HFO-1234yfと、HFC-143a、およびHFC-254eb、を含む組成物であって、HFC-143aを0.2重量パーセント以下で、HFC-254ebを1.9重量パーセント以下で含有する組成物。

訂正後の請求項1の記載(訂正前後での変化箇所に下線を付した)

77.0モルパーセント以上のHFO-1234yfと、HFC-143a、およびHFC-254eb、を含む組成物であって、HFC-143aを0.2重量パーセント以下で、HFC-254ebを1.9重量パーセント以下で含有する組成物。

請求項2

本件発明2(訂正前の請求項2の記載)
HFO-1234yfと、HFC-143a、およびHFC-254eb、を含む組成物であって、HFC-143aを0.1~0.2重量パーセント、HFC-254ebを0.7~1.9重量パーセント以下で含有する組成物。

訂正後の請求項2の記載

82.5モルパーセント以上のHFO-1234yfと、HFC-143a、およびHFC-254eb、を含む組成物であって、HFC-143aを0.1~0.2重量パーセント、HFC-254ebを0.7~1.9重量パーセント以下で含有する組成物。

判決抜粋(強調は引用者による)

特許請求の範囲等の訂正は、「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内」においてしなければならないところ(特許法134条の2第9項、126条5項)、これは、出願当初から発明の開示が十分に行われるようにして、迅速な権利付与を担保するとともに、出願時に開示された発明の範囲を前提として行動した第三者が不測の不利益を被ることのないようにしたものと解される。「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項」とは、当業者によって、明細書、特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項(以下、単に「当初技術的事項」という。)を意味すると解するのが相当であり、訂正が、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正は、「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。

……[引用者注:本件明細書の]【0121】~【0123】(表5(【表6】))に記載された実施例15は、HCFC-244bbからHFO-1234yfへ、触媒無しで変換したところ生じた、HFO-1234yf、HFC-143a及びHFC-254ebを含む組成物が4例記載されており(加熱された温度(℃)がそれぞれ550、574、603、626)、当該組成物に含まれるHFO-1234yfの量がそれぞれ、57.0、77.0、85.0、82.5モルパーセントであることが記載されている。

……もっとも、本件明細書には、HFO-1234yfを調製するに当たり、追加の化合物としてHFC-143a及びHFC-254ebが含まれることについての技術的意義をうかがわせる記載はなく、また、化合物中のHFO-1234yfの量が57.0、77.0、85.0、82.5モルパーセントであることについての技術的意義をうかがわせる記載もない。

……本件訂正により、本件発明1の化合物のうちのHFO-1234yfの含有量の下限が77.0モルパーセントと定められたことになるが、前記……のとおり、この数値自体は本件明細書に記載されていたものである。しかるところ、本件明細書の記載に照らしても当該数値に格別の技術的意義があるとは認められないから、本件訂正により、本件発明1に関し、新たな技術的事項が付加されたということはできない。

……本件訂正により、本件発明2の化合物のうちのHFO-1234yfの含有量の下限が82.5モルパーセントと定められたことになるが、前記……のとおり、この数値自体は本件明細書に記載されていたものであり、また、本件明細書の記載に照らしても当該数値に格別の技術的意義があるとは認められないから、前記……と同様の理由により、本件訂正は、本件発明2に関し、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入するものではない。

……したがって、本件訂正は、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものというべきである。

……以上によれば、本件訂正は「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」されたものと認めることになるから、本件訂正が特許法134条の2第9項において準用する同法126条5項の規定に適合しないとした本件審決の判断は誤りであり、原告の主張する取消事由1(訂正要件適合性に係る判断の誤り)には理由がある。

また、取消事由2についても、サポート要件違反の判断の対象となる発明は、本件訂正発明となるべきところ、本件審決は、[引用者注:本件訂正前の]本件発明について判断をしているのであるから、取消しを免れない。


雑感

「新たな技術的事項」

「本件明細書の記載に照らしても当該数値に格別の技術的意義があるとは認められないから、本件訂正により、本件発明1に関し、新たな技術的事項が付加されたということはできない。」という判示につき、以下の2点が気になった。

第一に、「当該数値に格別の技術的意義があるとは認められないから、……新たな技術的事項が付加されたということはできない。」との論理は何を意味しているのか。「格別の技術的意義」―例えば、数値限定の臨界的意義―がある場合は、「新たな技術的事項が付加された」として訂正を認めない、ということだろうか。しかし、「技術的意義」の付加される訂正を認めないのであれば、特許無効を回避するという訂正の最大の目的が果たせなくなる。

第二に、「本件訂正により、本件発明1に関し、新たな技術的事項が付加されたということはできない」との判示は、訂正前の発明(本件発明1)と訂正後の発明とを比較して、「新たな技術的事項が付加された」か否かを判断しているようにも読める。しかし、そのような判断をしているのであれば、妥当ではない。「明細書、特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項」と訂正後の発明とを比較して、後者について、新たな技術的事項を導入しないものであれば、126条5項の要件は満たす。訂正前後の発明を見て判断するのは、126条1項ただし書き各号(訂正目的要件)および同条6項(実質的拡張・変更ではない)の要件である。

なお、知財高判平成30年1月22日(平成29年(行ケ)第10007号)も、「訂正後の化学物質群は,訂正前の基本骨格(……)を共通して有するものである。加えて,訂正後の化学物質群について,訂正前の化学物質群に比して顕著な作用効果を奏するとも認め難い。そうすると,選択肢を削除することによって,本件明細書の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものではない。」(強調は引用者による)と述べており、本判決と似た論理構成である。

これら判決は、知財高大判平成20年5月30日(平成18年(行ケ)第10563号)[ソルダーレジスト]が、「本件へのあてはめ」において、「[引用者注:本件各訂正により]引用発明の内容となっている特定の組合せを除外することによって,本件明細書に記載された本件訂正前の各発明に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせているものとはいえないから,本件各訂正が本件明細書に開示された技術的事項に新たな技術的事項を付加したものでないことは明らかであり,本件各訂正は,当業者によって,本件明細書のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであることが明らかであるということができる。」(強調は引用者による)と述べているのを、範としたのかも知れない。しかし、[ソルダーレジスト]大合議判決は、(1)たしかに訂正前の発明と訂正後の発明とを比較しているが、訂正前の発明が「本件明細書に記載され」ていることを前提としており、(2)また訂正によって「訂正前の各発明に関する技術的事項」に変更がないと述べているだけで、訂正により「格別の技術的意義」や「顕著な作用効果」が新たに生ずることを禁止しているわけではない*1

特許庁への差戻し

上記のとおり、本件審決取消訴訟では、サポート要件の判断対象となる発明は訂正後の請求項1および2に係る発明であるとして、訂正前の発明について(のみ)サポート要件の判断を行ない特許無効と判断した審決を取り消し、特許庁へ審理を差し戻した。

しかし、請求項1に係る発明については、本件審決取消訴訟と同一の裁判体が、本件と同一の当事者間における同一特許権の侵害訴訟(知財高判令和5年10月5日(令和4年(ネ)第10094号))において、本件と同日に、以下のように、本件と同様の訂正を認めたとしてもサポート要件違反のため特許無効である、と判示しているのである(強調は引用者)。

本件訂正発明についても、本件発明に係る請求項1のHFO-1234yfにつて「77.0モルパーセント以上」という下限が設定されただけで、本件訂正後の特許請求の範囲及び本件明細書の記載を総合しても、当該下限にどのような技術的意義があり、これによりどのような課題を解決することができるのかは明らかにされていない。また、前記……同様、本件訂正発明に係る組成物の構成により解決しようとしている課題や、その解決方法が本件明細書に記載されていないことには変わりはない。したがって、訂正が有効だとしても、本件訂正発明に係る特許請求の範囲の記載には、前記……と同じ理由により、サポート要件違反の無効理由が存在することとなるので、訂正の再抗弁によりサポート要件違反の無効理由を解消することはできない。

訂正後の請求項2に係る発明についても、上記と同様の論理でサポート要件違反と判断されることは間違いない。

加えて、本件審決取消訴訟において、Xはサポート要件充足についての主張も行なっているから、訂正後の発明がサポート要件違反と判断されても、Xにとって不意打ちとはなるまい。

このような状況下において、審決を取り消し、あらためて特許庁に特許無効審決を出させる意義は何か、考えさせられる事案である。

更新履歴

  • 2023-10-22 公開
  • 2023-10-22 「除くクレーム」への訂正について記した注を追加

*1:ただし、「除くクレーム」への訂正については、別の考え方がありうるかも知れない。例えば、吉田広志「知財高大判平成20年5月30日(平成18年(行ケ)第10563号)判批」特許研究47号(2009)76頁以下は、「除くクレーム」への補正・訂正前後で発明の「一体性と連続性」が保たれている必要があると述べる。

「除くクレーム」への訂正について判断された事案 ― 知財高判令和5年10月5日(令和4年(行ケ)第10125号)

はじめに

本判決(知財高判令和5年10月5日(令和4年(行ケ)第10125号)*1は、「除くクレーム」への訂正を認めなかった審決を、知財高裁が取り消したという事案である。

その判示内容には、知財高大判平成20年5月30日(平成18年(行ケ)第10563号)[ソルダーレジスト]の解釈等、いくつか検討の余地があるため、本稿を記す。

事案の経緯

原告は、本件特許の特許権者である。

被告が、本件特許について特許無効審判を請求したところ、特許庁は、本件発明1(後記)は新規性要件を満たさない等の理由があるため特許を無効にする、との審決の予告を行なった。これに対し、原告は本件訂正(後記)を請求したが、特許庁は、本件訂正は新規事項追加に当たり認められないとした上で、特許無効審決をなした。

これを不服として、原告が審決取消を請求したのが、本件である。

本件発明1および本件訂正

本件発明1

HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbと、
を含む組成物。

本件訂正(請求項1に係るもののみ抜粋;強調は引用者による)

請求項1の「を含む組成物」の記載を「を含む組成物(HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物を除く)」に訂正する。

審決および被告の主張

判示事項に入る前に、本件無効審決の内容(無効2020-800082)および本審決取消訴訟での被告主張内容を抜粋して示す。「裁判所の判断」の項より前は、知財高裁による判示事項ではないため、留意されたい。

審決の抜粋

本件訂正のような、いわゆる「除くクレーム」に数値範囲の限定を伴う訂正が新規事項を追加しないものであるというためには、「除く」対象が存在すること、すなわち、訂正前の請求項1に係る発明において、「HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物」が含まれているといえるか、または、「除く」対象が存在しないとしても、すなわち、訂正前の請求項1に係る発明において、「HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物」が含まれていないとしても、訂正後の請求項1に係る発明には、「HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物」が含まれることが明⽰されることになるから、訂正前の請求項1に係る発明に「HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物」が含まれているといえる必要があると解される。

……

ましてや、本件明細書には、HCFC-225cbについての記載がないのであるから、その含有量については不明としかいうほかない。すなわち、訂正前の請求項1に係る発明が「HCFC-225cb」を含むことは想定されていないというべきである。

そうすると、訂正前の請求項1に係る発明に「HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物」が含まれているということはできないし、訂正前の請求項1に係る発明に「HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物」が含まれているということもできない。

以上のとおり、訂正事項1は、願書に添付した明細書、特許請求の範囲⼜は図⾯に記載した事項との関係において新たな技術的事項を導⼊するものであって、新規事項を追加するものに該当し、特許法第134条の2第9項で準⽤する同法第126条第5項の規定に違反する。

本訴訟における被告主張の抜粋(本判決より引用)

ソルダーレジスト大合議判決は、いわゆる「除くクレーム」によって「特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正」について、新規事項の追加に該当しない場合があることを判示したものであるが、本件訂正は、除くクレームによって「特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正」になっていない。

すなわち、本件発明1と甲4発明が同一である部分は、「CF3CF=CH2(HFC-1234yf)(10%)、CF3CF2CH3(20%)、CF3CFHCH3(48%)、HCFC-225cb(20%)を含む揮発性物質」であるから、特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正をするのであれば、「ただし、HFC-1234yfを10%、HFC-254ebを20%、HFC-245cbを48%、HCFC-225cbを20%含む組成物を除く」との訂正をすべきである。

本件のように、特許出願に係る発明と同一の発明が存在することを奇貨として、除くクレームの形式で自由に訂正発明の内容を規定することができるとすれば、第三者に不測の損害をもたらすこととなる。

裁判所の判断(強調は引用者による)

特許請求の範囲等の訂正は、「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内」においてしなければならないところ(特許法134条の2第9項、126条5項)、これは、出願当初から発明の開示が十分に行われるようにして、迅速な権利付与を担保するとともに、出願時に開示された発明の範囲を前提として行動した第三者が不測の不利益を被ることのないようにしたものと解され、「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項」とは、当業者によって、明細書、特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項(以下、単に「当初技術的事項」という。)を意味すると解するのが相当であり、訂正が、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正は、「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。

……

そこで検討するに、前記……の通り、本件明細書等にはHCFC-225cbに係る記載は全くないものの、前記……のとおり、本件発明1に係る特許請求の範囲の記載は、その文言上、HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbを含む限り、それ以外のいかなる物質をも含み得る組成物を意味するものと解されるものである。そして、本件訂正により、「HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物を除く」と特定されたことをもって、本件訂正発明1には、HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物が含まれないことが明示されたということはできるものの、本件訂正発明1が、HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物であることが明示されたということはできない。

……したがって、本件訂正は、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものというべきである。

……被告は、本件訂正は、甲4発明と同一である部分を除外する訂正とはいえず、除くクレームによって「特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正」になっていないから認められないと主張する。

しかしながら、特許法134条の2第1項に基づき特許請求の範囲を訂正するときは、願書に添付した明細書、特許請求の範囲または図面に記載した事項の範囲内でしなければならず、実質上、特許請求の範囲を拡張し、変更するものであってはならないとされている(同条9項、同法126条5項及び6項)が、それ以上に先願発明と同一である部分のみを除外することや、当該特許出願前に公知であった先行技術と同一である部分のみを除外することは要件とされていない。そして、訂正が、「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」行われた場合、すなわち、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正によって第三者に不測の損害をおよぼすとは考え難いから、同項に規定する訂正要件の解釈として、被告が主張するような要件を加重することは相当ではないというべきである。

また、被告は、除くクレームの形式で自由に訂正発明の内容を規定することは許されない旨主張しているところ、本件訂正は、前記……のとおり、甲4による新規性欠如及び進歩性欠如の無効理由がある旨の審決の予告を受けてされた訂正であるが、前記……のとおり、甲4には、甲4発明が記載されているのみならず、「HCFC-225cbを含むハロカーボン混合物から、・・ヒドロフルオロカーボンを直接的に調製する有利な方法に関する。・・この方法は相当量の該HCFC-225cbを他の化合物へ転化することなく行われる。」(【0012】)、「本発明による好ましい混合物とは、化合物HCFC-225cbを含む混合物である。他の好ましい態様において、混合物は本質的に約1~約99重量パーセントのHCFC-225cb・・とから成る」(【0015】)との記載があり、同各記載を踏まえると、本件訂正は、甲4に記載された発明と実質的に同一であると評価される蓋然性がある部分を除外しようとするものといえるから、本件訂正は先行技術である甲4に記載された発明とは無関係に、自由に訂正発明の内容を規定するものとはいえない。

そして、本件審決は、本件訂正が新たな技術的事項を導入するものであることを理由に訂正を認めず、本件発明に係る本件特許を無効としたものであるが、本件訂正が新たな技術的事項を導入するものであるとはいえないことは前記したとおりである。そうすると、本件審決は同法134条の2第9項において準用する同法126条5項の訂正要件の解釈を誤ったものとして、取消しを免れない。

雑感

まず、本判決における「「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項」とは、当業者によって、明細書、特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項(以下、単に「当初技術的事項」という。)を意味すると解するのが相当であり、訂正が、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正は、「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。」との一般論は、[ソルダーレジスト]大合議判決により示された補正・(厳密に言えば特許無効審判における)訂正についての一般論、ほぼそのままであり、問題とはなり得まい。

他方、(訂正前の)クレームを解釈してもその存在(含有)を一切導出できない構成であり、かつ、明細書・図面にも記載のない構成である、「HCFC-225cb」(の一定量以上)を除く訂正を、「新たな技術的事項を導入しないもの」と判断した点には、異論がありえよう。

加えて、被告の「本件訂正は、除くクレームによって「特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正」になっていない。」との主張に対して、裁判所が「当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正によって第三者に不測の損害をおよぼすとは考え難いから、同項[引用者注:126条5項(および6項もか?)]に規定する訂正要件の解釈として、被告が主張するような要件を加重することは相当ではないというべきである。」と応じている点にも、異論があるかも知れない。

というのも、[ソルダーレジスト]大合議判決は、29条の2の先願発明の内容(のみ)をクレームから除く訂正が認められた事案であり、当該大合議判決は次の判示をしているからである(強調は引用者による):

無効審判の被請求人が,特許請求の範囲の記載について,「ただし,…を除く。」などの消極的表現(いわゆる「除くクレーム」)によって特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正を請求する場合がある。

このような場合,特許権者は,特許出願時において先願発明の存在を認識していないから,当該特許出願に係る明細書又は図面には先願発明についての具体的な記載が存在しないのが通常であるが,明細書又は図面に具体的に記載されていない事項を訂正事項とする訂正についても,……,明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」する訂正であるというべきである。

……

本件各訂正は,本件訂正前の各発明から先願発明と同一の部分を除外するために,除外の対象となる部分である引用発明の内容を,本件訂正前発明1及び2の成分(A)~(D)及び同(A)~(E)ごとに分説し,各成分に該当し得る物質又は製品の一部を,同実施例2の特定の物質又は製品の記載を引用しながら特定し,消極的表現(いわゆる「除くクレーム」)によって除外するものであるということができる。

すなわち、上記判示から、[ソルダーレジスト]大合議判決は、特許権者が「特許出願時において先願発明の存在を認識していない」場合であって、その先願発明のみを除く場合に限って、「明細書又は図面に具体的に記載されていない事項」をクレームから除く補正・訂正を認めている、と読めなくもないからである。

しかし、私は、[ソルダーレジスト]大合議判決を踏まえても、本判決(知財高判令和5年10月5日(令和4年(行ケ)第10125号))の「新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正によって第三者に不測の損害をおよぼすとは考え難いから、同項に規定する訂正要件の解釈として、被告が主張するような要件を加重することは相当ではない」とする判示は妥当だと考える*2

なぜならば、(「除くクレーム」への補正・訂正ではない)通常の補正・訂正は当然のことながら先願発明との関係は要求されないところ、[ソルダーレジスト]大合議判決は、判決当時の(除くクレームへの補正を「例外」と位置付けていた)審査基準に対して、「「除くクレーム」とする補正が本来認められないものであることを前提とするこのような考え方は適切ではない。……「例外的」な取扱いを想定する余地はない」と述べているからである。すなわち、大合議判決は「除くクレーム」への補正・訂正も「例外的」なものではないと考えているのであり、してみれば、「除くクレーム」への補正・訂正のみ、先願発明との関係を要求するのは、道理にかなわない*3

さて、ここまでであれば、本判決(知財高判令和5年10月5日(令和4年(行ケ)第10125号))の論理を理解できるが、その直後に現れる「本件訂正は先行技術である甲4に記載された発明とは無関係に、自由に訂正発明の内容を規定するものとはいえない。」との判示は理解できない。本判決のそれまでの「訂正要件の解釈として、被告が主張するような要件を加重することは相当ではない」との論理からすれば、「新たな技術的事項を導入しない」訂正(であり、かつ実質拡張・変更ではない訂正)であれば、先行技術と「無関係に」訂正を認めて良いはずである。このような判示を行なう必要は全くなかったように思われる。

最後に、審決取消訴訟の審理範囲という点から仕方ないことではあるが、本判決は、本件訂正が126条5項の要件を満たすと判断したのみで、訂正目的要件(同条1項但書各号)や実質拡張・変更ではないとの要件(同条6項)の充足性については言及していないことに、留意が必要であろう*4

更新履歴

  • 2023-10-16 公開
  • 2023-10-19 誤記の修正・若干の追記

*1:裁判体は清水響・浅井憲・勝又来未子。

*2:「第三者に不測の損害をおよぼ」さないため、より正しくは、訂正目的要件(126条1項但書各号)をも充足する必要があろうが。

*3:もっとも、「明細書又は図面に具体的に記載されていない事項」を、「除く」の形か別の形かを問わず、クレームに追記(補正・訂正)する際に、「新たな技術的事項を導入しないもの」か否かの判断の考慮要素として、先願発明との関係を含めることが許される、と[ソルダーレジスト]大合議判決を読むのは、論理的にはあり得るかも知れない。

*4:本判決は、「本件発明1に係る特許請求の範囲の記載は、その文言上、HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbを含む限り、それ以外のいかなる物質をも含み得る組成物を意味するものと解されるものである。そして、本件訂正により、「HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物を除く」と特定されたことをもって、本件訂正発明1には、HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物が含まれないことが明示されたということはできる」と述べていることから、「特許請求の範囲の減縮」(126条1項但書1号)に当たり、実質拡張・変更ではない、と解釈しているとは思われるが。

サポート要件と「課題」との関係 ― 知財高判令和5年10月5日(令和4年(ネ)第10094号)

本件の概要

本件(知財高判令和5年10月5日(令和4年(ネ)第10094号))は、特許権者である原告=控訴人が、被告=被控訴人の行為は本件発明にかかる特許権の侵害に当たるとして、被告製品の販売等差止および廃棄を求めた事案である。

原判決(東京地判令和4年8月2日(令和3年(ワ)第29388号))は、本件出願は、原出願当初明細書等に記載された事項の範囲内でされたものとはいえず、分割出願としては不適法であるとし、その結果、新規性要件(29条1項3号)を充足しないと判断して*1、原告の請求を棄却した。

そこで、原告が知財高裁へ控訴したところ、本件控訴審判決(本判決)は、サポート要件(36条6項1号)の非充足を理由として、控訴を棄却した。

本件発明

HFO-1234yfと、HFC-143a、およびHFC-254eb、を含む組成物であって、HFC-143aを0.2重量パーセント以下で、HFC-254ebを1.9重量パーセント以下で含有する組成物。

本件明細書の抜粋

【技術分野】
【0001】
本開示内容は、熱伝達組成物、エアロゾル噴霧剤、発泡剤、ブロー剤、溶媒、クリーニング剤、キャリア流体、置換乾燥剤、バフ研磨剤、重合媒体、ポリオレフィンおよびポリウレタンの膨張剤、ガス状誘電体、消火剤および液体またはガス状形態にある消火剤として有用な組成物の分野に関する。特に、本開示内容は、2,3,3,3,-テトラフルオロプロペン(HFO-1234yfまたは1234yf)または2,3-ジクロロ-1,1,1-トリフルオロプロパン(HCFC-243dbまたは243db)、2-クロロ-1,1,1-トリフルオロプロペン(HCFO-1233xfまたは1233xf)または2-クロロ-1,1,1,2-テトラフルオロプロパン(HCFC-244bb)を含む組成物等の熱伝達組成物として有用な組成物に関する。
【背景技術】
【0002】
新たな環境規制によって、冷蔵、空調およびヒートポンプ装置に用いる新たな組成物が必要とされてきた。低地球温暖化係数の化合物が特に着目されている。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0003】
出願人は、1234yf等の新たな低地球温暖化係数の化合物を調製する際に、特定の追加の化合物が少量で存在することを見出した。
【課題を解決するための手段】
……
【発明を実施するための形態】
【0010】
HFO-1234yfには、いくつかある用途の中で特に、冷蔵、熱伝達流体、エアロゾル噴霧剤、発泡膨張剤としての用途が示唆されてきた。また、HFO-1234yfは、V.C.Papadimitriouらにより、PhysicalChemistryChemicalPhysics、2007、9巻、1-13頁に記録されているとおり、低地球温暖化係数(GWP)を有することも分かっており有利である。このように、HFO-1234yfは、高GWP飽和HFC冷媒に替わる良い候補である。

判決抜粋(強調は引用者による)

本件発明は、熱伝達組成物等として有用な組成物の分野に関するものであり、新たな環境規制によって、冷蔵、空調及びヒートポンプ装置に用いる新たな組成物が必要とされてきたことを背景として、低地球温暖化係数の化合物が特に着目されているところ、1234yf等の新たな低地球温暖化係数の化合物を調製する際に、特定の追加の化合物が少量で存在することを見出したというものである(本件明細書の【0001】~【0003】。……)。

……

(1) 特許請求の範囲の記載が、サポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決することができると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決することができると認識することができる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。

(2) 本件についてみると、本件明細書(……)には、「発明が解決しようとする課題」として、「出願人は、1234yf等の新たな低地球温暖化係数の化合物を調製する際に、特定の追加の化合物が少量で存在することを見出した。」(【0003】)との記載がある。また、「……」(【0004】)、「……」(【0010】)といった記載に、【0013】、【0016】、【0019】、【0022】、【0030】、【図1】の記載を総合すると本件明細書には、HFO-1234yfが低地球温暖化係数(GWP)を有することが知られており、高GWP飽和HFC冷媒に替わる良い候補であること、HFO-1234yfを調製する際に特定の追加の化合物が少量存在すること、本件発明の組成物に含まれる追加の化合物の一つとして約1重量パーセント未満のHFC-143aがあること、HFO-1234yfを調製する過程において生じる副生成物や、HFO-1234yf又はその原料(HCFC-243db、HCFO-1233xf、HCFC-244bb)に含まれる不純物が、追加の化合物に該当することが記載されているということができる。

しかるところ、HFO-1234yfは、原出願日前において、既に低地球温暖化係数(GWP)を有する化合物として有用であることが知られていたことは、【0010】の記載自体からも明らかである。したがって、HFO-1234yfを調製する際に追加の化合物が少量存在することにより、どのような技術的意義があるのか、いかなる作用効果があり、これによりどのような課題が解決されることになるのかといった点が記載されていなければ、本件発明が解決しようとした課題が記載されていることにはならない。しかし、本件明細書には、これらの点について何ら記載がなく、その余の記載をみても、本件明細書には、本件発明が解決しようとした課題をうかがわせる部分はない。本件明細書には、「技術分野」として、「本開示内容は、熱伝達組成物、エアロゾル噴霧剤、発泡剤、ブロー剤、溶媒、クリーニング剤、キャリア流体、置換乾燥剤、バフ研磨剤、重合媒体、ポリオレフィンおよびポリウレタンの膨張剤、ガス状誘電体、消火剤および液体またはガス状形態にある消火剤として有用な組成物の分野に関する。特に、本開示内容は、……を含む組成物等の熱伝達組成物として有用な組成物に関する。」(【0001】)との記載があるが、同記載は、本件発明が属する技術分野の説明にすぎないから、この記載から本件発明が解決しようとする課題を理解することはできない。

そうすると、本件明細書に形式的に記載された「発明が解決しようとする課題」は、本件発明の課題の記載としては不十分であり、本件明細書には本件発明の課題が記載されていないというほかない。そうである以上、当業者が、本件明細書の記載により本件発明の課題を解決することができると認識することができるということもできない。

(3) 仮に、上記【0001】の記載をもって本件発明の課題を説明したものと理解したとしても、次に述べるとおり、本件明細書の記載をもって、当業者が当該課題を解決することができると認識することができるとは認められない。

すなわち、この場合の本件発明の課題は、「2,3,3,3,-テトラフルオロプロペン(HFO-1234yfまたは1234yf)または2,3-ジクロロ-1,1,1-トリフルオロプロパン(HCFC-243dbまたは243db)、2-クロロ-1,1,1-トリフルオロプロペン(HCFO-1233xfまたは1233xf)または2-クロロ-1,1,1,2-テトラフルオロプロパン(HCFC-244bb)を含む組成物等の熱伝達組成物として有用な組成物を提供すること」と理解されることとなるはずである。

そして、本件発明は、①HFO-1234yf、②0.2重量パーセント以下のHFC-143a、③1.9重量パーセント以下のHFC-254ebを含む組成物によって、当該課題を解決するものということになる。

しかるところ、本件明細書には、上記①~③を含む組成物についての記載がされているとはいえない。すなわち、【0121】~【0123】(表5(【表6】))には、実施例15として、HCFC-244bbからHFO-1234yfへ、触媒無しで変換したところ生じた、HFO-1234yf、HFC-143a及びHFC-254ebを含む組成物が4例記載されており(加熱された温度(℃)がそれぞれ550、574、603、626)、当該組成物に含まれるHFC-143aの量がそれぞれ、0.1、0.1、0.2、0.2モルパーセントであること、及び同HFC-254ebの量がそれぞれ1.7、1.9、1.4、0.7モルパーセントであることが記載されている。しかしながら、表5(【表6】)に記載された組成物には「未知」のものが含まれており、その分子量を知ることができないから、同表において、モルパーセントの単位をもって記載されたHFC-143a及びHFC-254ebの含有量を、重量パーセントの含有量へと換算することはできない。そうすると、本件明細書には、上記①~③の構成を有する組成物についての記載がされていないというほかない。それのみならず、本件明細書には、このような構成を有する組成物が、HFO-1234yfの前記有用性にとどまらず、いかなる意味において「有用」な組成物になるのか、という点について何ら記載されておらず、示唆した部分もない。したがって、当業者が、本件明細書の記載から、上記①~③の構成を有する組成物が、熱伝達組成物として「有用な」組成物であるものと理解することもできない。

したがって、当業者は、本件明細書の記載により本件発明の課題を解決することができると認識することはない。

(4) 以上のとおり、分割出願が有効であり、出願日が原出願日(平成21年5月7日)となると考えたとしても、本件発明に係る特許請求の範囲の記載が、サポート要件に適合するということができないから、本件発明に係る特許は、無効審判請求により無効とされるべきものである(特許法123条1項4号、36条6項1号)。そして、このことは、分割出願が無効であり、出願日が分割出願の日(令和元年9月4日)となる場合でも同様である。

雑感

本判決は、明細書に「発明が解決しようとする課題」の記載が実質的に存在しないことを理由として、サポート要件の充足を否定した点に特徴がある。


本質的な部分ではないが、まず言及しておきたいのが、「本件明細書に形式的に記載された「発明が解決しようとする課題」は、本件発明の課題の記載としては不十分であり、本件明細書には本件発明の課題が記載されていないというほかない。」という部分である。この判示は、舌足らずであり、誤解を招くように感じる。すなわち、この判示だけを見ると、明細書の「発明が解決しようとする課題」欄の記載(【0003】)のみから、「本件明細書には本件発明の課題が記載されていない」と認定判断したかのように読める。実際には、「本件明細書には、これらの点について何ら記載がなく、その余の記載をみても、本件明細書には、本件発明が解決しようとした課題をうかがわせる部分はない。」という判示からも分かるように、本判決は明細書全体から「課題」を探し出そうとしている。


本論に入ろう。

本判決の述べる、「特許請求の範囲の記載が、サポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決することができると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決することができると認識することができる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。」との、サポート要件についての一般論は、知財高大判平成17年11月11日(平成17年(行ケ)第10042号)[偏光フイルムの製造法]の判示、ほぼそのままであり、実務に加え、学説でも、おおむね承認されているものである。

ここで、サポート要件を規定した36条6項1号は、「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。」というものであり、条文上「課題」についての言及はない。加えて、後述するように「課題」のない発明もあり得る。それゆえ、「課題」を重視しているように感じられる、この一般論に、私は疑問を持っている*2

サポート要件は、明細書の発明の詳細な説明に実施形態・実施例として(“点”として)書かれたものを、どこまで抽象化・上位概念化して(“面”として)クレームに書けるのか規律したもの、と捉えるべきではなかろうか。

そうであれば、サポート要件の充足性判断において、「課題」の特定が有用な場合もあろうが、常に「課題」を特定して判断する必要はないように思われる*3。それゆえ、「本件明細書には本件発明の課題が記載されていないというほかない。そうである以上、当業者が、本件明細書の記載により本件発明の課題を解決することができると認識することができるということもできない。」と述べ、《明細書から課題が特定できなければ、ただちにサポート要件を充足しない》とした判断した本判決は、妥当とは言いがたいと感じる。

本事案において、サポート要件の充足を否定するには、端的に、「①HFO-1234yf、②0.2重量パーセント以下のHFC-143a、③1.9重量パーセント以下のHFC-254ebを含む組成物」が明細書に記載されていないこと(この点は事実認定されている)を述べるだけで十分だったのではなかろうか。


さらに、サポート要件充足性判断の文脈で、「どのような技術的意義があるのか、いかなる作用効果があり、これによりどのような課題が解決されることになるのかといった点が記載されていなければ、本件発明が解決しようとした課題が記載されていることにはならない。」と本判決が述べている点も気になる。

「技術的意義」云々は、サポート要件(36条6項1号)ではなく、36条4項1号の委任省令である特許法施行規則24条の2「特許法第三十六条第四項第一号の経済産業省令で定めるところによる記載は、発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を記載することによりしなければならない。」の問題ではないのか。

この委任省令につき、知財高裁平成21年7月29日(平成20年(行ケ)第10237号)[スロットマシン]は、次のように判示する(強調は引用者による):
「いわゆる実施可能要件を定めた特許法36条4項1号の下において,特許法施行規則24条の2が,(明細書には)「発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項」を記載すべきとしたのは,特許法が,いわゆる実施可能要件を設けた前記の趣旨の実効性を,実質的に確保するためであるということができる。そのような趣旨に照らすならば,特許法施行規則24条の2の規定した「技術上の意義を理解するために必要な事項」は,実施可能要件の有無を判断するに当たっての間接的な判断要素として活用されるよう解釈適用されるべきであって,実施可能要件と別個の独立した要件として,形式的に解釈適用されるべきではない。

ところで、『特許・実用新案審査基準』の委任省令要件に関する部分(第II部 第1章 第2節)に、興味深い記載がある:

以下の(i)、(ii)等の発明のように、もともと課題が想定されていないと認められる場合は、課題の記載は求められない。
(i) 従来技術と全く異なる新規な発想に基づき開発された発明
(ii) 試行錯誤の結果の発見に基づく発明(例:化学物質の発明)
なお、このように、課題が想定されていない場合は、その課題を発明がどのように解決したか(解決手段)の記載も求められない。「その解決手段」は、課題との関連において初めて意義を有するものであり、課題が認識されなければ、その課題を発明がどのように解決したかは認識されないからである。

この審査基準の記載からすると、「課題」の存在しない発明もあり得るということになり、ますます、サポート要件において「課題」を重視することに疑問が生ずる。

もっとも、上記審査基準のいう「課題」は、発明が完成する前に(発明を創作する際に)想定・認識する「課題」であって、発明が完成したに判明する(こともある)「発明が解決しようとする課題」(=発明の奏する効果と表裏一体のもの)*4とは異なるのかも知れない*5

しかし、後者の、効果と表裏一体である「発明が解決しようとする課題」は、次に述べる「発明の有用性」に帰着し、サポート要件の問題として取り扱う必要はないように思われる。


本判決は、「仮に、上記【0001】の記載をもって本件発明の課題を説明したものと理解したとしても、……本件明細書には、このような構成を有する組成物が……いかなる意味において「有用」な組成物になるのか、という点について何ら記載されておらず、示唆した部分もない。したがって、当業者が、本件明細書の記載から、上記①~③の構成を有する組成物が、熱伝達組成物として「有用な」組成物であるものと理解することもできない。」と、発明の有用性にも言及している。

この判示は、本件明細書の段落【0001】に「有用な組成物」との記載があったためであり、サポート要件の充足性判断一般に、有用性を考慮する趣旨ではないと思われる。

仮に、本事案に限らず、有用性を考慮してサポート要件の充足性を判断すべしとの趣旨であれば、疑問なしとしない。発明の有用性は、サポート要件(および実施可能要件)の問題ではなく、29条1項柱書の産業上利用可能性の問題として扱うほうが適切ではなかろうか*6

更新履歴

  • 2023-10-08 公開

*1:サポート要件充足性も争点であったが、地裁の判断は示されなかった。

*2:それゆえ、知財高大判[偏光フイルムの製造法]に反旗を翻した(ものの追従する裁判例の現れなかった)知財高判平成22年1月28日(平成21年(行ケ)第10033号)[フリバンセリン]の「法36条6項1号は……「特許請求の範囲」と「発明の詳細な説明」とを対比して,「特許請求の範囲」の記載が「発明の詳細な説明」に記載された技術的事項の範囲を超えるような広範な範囲にまで独占権を付与することを防止する趣旨で設けられた規定である。そうすると,「発明の詳細な説明」の記載内容に関する解釈の手法は,同規定の趣旨に照らして,「特許請求の範囲」が「発明の詳細な説明」に記載された技術的事項の範囲のものであるか否かを判断するのに,必要かつ合目的的な解釈手法によるべきであって,特段の事情のない限りは,「発明の詳細な説明」において実施例等で記載・開示された技術的事項を形式的に理解することで足りるというべきである。」との判示に、少なからず共感を覚える。

*3:例えば、実施例に“点”として書かれたものを、そのまま“点”としてクレームに記載した場合は、「課題」の特定は不要であろう。ただし、《それでは、クレーム文言をそのまま明細書にも記載しておくことだけで、サポート要件充足ということになり、本要件が機能しないのではないか》という問題があり、[フリバンセリン]判決直後、しばしば提起されていた。この問題につき、私は、“点”の内容・実態に依ると考えている。

*4:例えば、偶然生まれた化学物質に、有益な効果Xがあると分かれば、「効果Xを奏する新たな化学物質を得ること」が「発明が解決しようとする課題」と(後付けで)言える。

*5:もっとも、このように「課題」を区別するのであれば、特許庁がなにゆえ(「発明が解決しようとする課題」にのみ言及する)委任省令に関する審査基準において、このような記載をしたのか、意図が不明であるが。

*6:前田健特許法における明細書による開示の役割』(商事法務,2012)67頁,81頁も参照。

自明性の基礎とできる先行技術について判示された事案 ― Netflix v. DivX (Fed. Cir. 2023)

はじめに

本訴訟の対象となったは、マルチメディアファイルのデコーダ・エンコーダに関する特許権(権利者はDivX, LLC)である。

Netflix, Inc.らは、IPRを請求し、本件特許発明は複数の先行技術文献(に記載された発明)の組み合わせにより自明であり、本件特許は無効である、と主張した。

IPRでの争点の一つは、先行技術文献の一つKaku*1が、自明性の主張の基礎とできる(特許発明の)類似技術(analogous art)であるか否かであった。

PTABは、「文献Kakuが類似技術であることにつき、field-of-endeavor testおよびreasonable-pertinence testのいずれにおいても、IPR請求人は立証できていない」と判断し、特許維持の審決をした。

これを不服として、NetflixがCAFCへ上訴した*2のが、本件Netflix v. DivX (Fed. Cir. 2023)である。

結論として、CAFCは、審決を一部破棄し、PTABへ差戻した。

field-of-endeavor testについてのCAFC判示概要

我々(CAFC)は、類似技術(analogous art)の範囲を定義するため、二つの独立したテストを用いる。field-of-endeavor testおよびreasonable-pertinence testである。

我々は、当業者に全ての技術(all arts)を知っていることを要求するのではなく、発明時点での当業者の努力分野(field of endeavor)における全ての先行技術の教示を知っていることを仮定している。それゆえ、自明性の判断においては、文献が、クレームされた発明に類似する(analogous to the claimed invention)場合にのみ、当業者が参照する先行技術と認められる。

我々は、クレームされた発明の実施形態・機能・構造を含む、特許出願における発明主題の記載を参照して、努力分野を決定する*3。reasonable-pertinence testと異なり、field-of-endeavor testでは、特許発明の解決しようとする課題には着目しない。先行技術文献が、特許発明の関連する努力分野(relevant field of endeavor)に含まれれば、それで十分である。

PTABは、Netflixが本件特許やKakuの努力分野を十分特定していないと認定した。しかし、Netflixは、本件特許およびKakuの努力分野がともにAVIファイルに関するものであること、及び/又は、両者がともにマルチメディアファイルのエンコード・デコードに関するものであることを十分特定している。PTABが、Kakuが本件特許と同じ努力分野に関連していない理由を明確に分析しないまま、Netflixが本件特許やKakuの努力分野を特定していないことを理由に、field-of-endeavor testでKakuが類似技術の基準を満たさないとしたことについて、裁量権の濫用(abuse of discretion)がある。field-of-endeavor testの再審理のため、差戻す。

reasonable-pertinence testについてのCAFC判示概要

発明者の努力分野外の先行技術は、その主題が、発明者が課題を検討する際、必然的に(logically)注意を払うものである場合のみ、(特許発明/本願発明と)合理的に関連がある(reasonably pertinent)と言える。言い換えれば、先行技術文献が合理的に(特許発明/本願発明と)関連があるのは、当業者であれば、発明者が解決しようとした課題の解決策を求める際に、それらの文献を参照し、その教示を適用する場合に限られる。

PTABは、本件特許発明の課題は、明細書・クレーム・審査経過を考慮し、ストリーミング・マルチメディアにおけるトリックプレイの容易化であると認定する一方、Kakuは、本件特許発明のものとは異なる課題――画像の圧縮――を扱っていると認定した。

このPTABの認定は不合理であるとは言えない。ゆえに、差戻しの範囲にreasonable-pertinence testは含まれない。

おわりに

日本では、進歩性判断において、本願発明の解決しようとする課題を参酌することの是非が議論されている*4

本CAFC判決は、多分に事実認定に関するものを含むが、(非)自明性判断に用いることのできる先行技術についての一般論は、日本の議論にも参考になるのではないかと思い、紹介した次第である。

更新履歴

  • 2023-09-24 公開

*1:U.S. Patent No. 6,671,408.

*2:IPRではHuluも請求人に加わっていたが、CAFCへの上訴はNetflixのみが行なった。

*3:なお、本CAFC判決では、field-of-endeavor testにおける証拠・分析と、reasonable-pertinence testにおける証拠・分析とが、一部重複し得ることにも言及している。

*4:高石秀樹「進歩性判断に何故「本件発明の課題」が影響するのか?」(2023)および 想特一三「高石先生の知財実務情報Lab.の記事『進歩性判断に何故「本件発明の課題」が影響するのか?』を読んで」(2023)参照。

化学物質特許の保護範囲についての雑感 ― 東京地判令和5年7月28日(令和4年(ワ)第9716号)に接して ―

1 はじめに

本件 東京地判令和5年7月28日(令和4年(ワ)第9716号)は、特許権者である原告が、被告による被告製品の製造等は特許権侵害に当たると主張し、被告の行為の差止め等を求めた事案であり、結論として、裁判所は原告の請求を認めたものである。

判決を読み、思うところがあったので、覚書として本稿を記す。もっとも、本件は、いわゆる化学物質特許に関するものであるところ、私の化学知識は貧弱なので、本稿は大きな誤りを含んでいる恐れがある。

以下、枠で囲んだ記述は、判決書(裁判所ウェブページに掲載されているPDFファイル)からの引用(強調は引用者による)である。なお、「被告の主張」の項は、その名のとおり、被告の主張であって、裁判所の認定判断ではないので、注意されたい。

2 本件発明

下記一般式⑴

HOCOCHCHCOCHNH・HOP(O)(OR)(OH)2-n (1)

(式中、Rは、水素原子又は炭素数1~18のアルキル基を示し;nは0~2の整数を示す。)で表される5-アミノレブリン酸リン酸塩。

3 被告製品

各被告製品中のアミノ酸粉末の5-ALAホスフェートの化学式は、上記……の一般式(1)のうちR1を水素原子とし、nを1としたものであり、また、5-ALAホスフェートは、5-アミノレブリン酸リン酸塩である。

……

イ号製品は、原材料としてデキストリン及び5-ALAホスフェート(5-アミノレブリン酸リン酸塩)が含まれるアミノ酸粉末(ただし、当該5-アミノレブリン酸リン酸塩の純度には争いがある。)を含み、また、添加物としてHPMC(ヒドロキシプロピルメチルセルロース)、クエン酸第一鉄Na、微粒二酸化ケイ素及び二酸化チタンを含むアミノ酸含有加工食品である*1

4 関連する審決取消訴訟

被告は、令和3年9月、特許庁長官に対し、本件発明に係る特許について無効審判請求(以下「本件審判請求」という。)をした。原告は、本件審判請求において、……、特許が無効である旨の被告の主張に対して反論した(……)。
……
特許庁は、令和4年7月15日、本件審判請求が成り立たない旨の審決をしたところ、被告は、同年8月23日、知的財産高等裁判所に対し、当該審決の取消しを求める訴えを提起した(以下、当該訴えに係る訴訟を「本件審決取消訴訟」という。)。知的財産高等裁判所は、令和5年3月22日、被告の請求を棄却する旨の判決[引用者注:知財高判令和5年3月22日(令和4年(行ケ)第10091号)*2]をした(……)。

5 被告の主張

5.1 属否論

被告[引用者注:原告の誤記であろう]は、本件審判請求において、本件引用例や乙1文献を引用例とする無効の主張について、本件引用例や乙1文献には、5-ALAのリン酸塩を製造し単離する方法は記載されていないと主張するなどし、繰り返し「5-アミノレブリン酸リン酸塩」は「単離」したものであると主張して乙1文献や本件引用例との相違点を強調していた。加えて、本件審決取消訴訟においても、「5-ALA(5-アミノレブリン酸)は化学的に不安定で単体として取り出すことはできない」とか、本件引用例についても「ALA」を物質として取り出しているわけではない等と主張しており、リン酸塩になる前の「5-ALA」について「単体として取り出す」とか「物質として取り出す」などといった処理が必要である旨主張していて、これを前提として知的財産高等裁判所において判断がされている。したがって、原告が、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」が単離された高純度のものに限られないと主張することは信義則に反し、許されない。

各被告製品は、5-アミノレブリン酸リン酸塩を含んでいるものの、単離されておらず、かつその濃度も6%であって高純度のものではないから、本件発明[引用者注:「の構成要件」が抜けているのか]を充足しない。

5.2 無効論

本件引用例には、作用物質の特に有利な例として「5-アミノレブリン酸またはその塩またはエステル」とあり、複数列挙されている5-アミノレブリン酸の塩の「有利な例」の一つに「5-ALAホスフェート」が明記されている。そうすると、引用発明は、本件発明と同一であり、新規性を欠く。

6 裁判所の判断

6.1 属否論

本件発明は、特許請求の範囲の記載及び前記……の本件明細書記載の技術的意義からしても、従前知られていた5-アミノレブリン酸に比べて有利な効果を有する新規な化学物質の発明である。

各被告製品は、原材料として5-ALAホスフェート(5-アミノレブリン酸リン酸塩)が含まれるアミノ酸粉末を用いるアミノ酸含有食品であり(……)、各被告製品には、本件発明の一般式(1)のうちR1を水素原子とし、nを1とした5-アミノレブリン酸リン酸塩が含まれていると認められる(……)。すなわち、各被告製品には、新規な化学物質である本件発明のアミノレブリン酸リン酸塩そのものが含まれている。

以上によれば、各被告製品は、本件発明の技術的範囲に属する。

被告は、各被告製品が、アミノ酸含有食品であること、5-アミノレブリン酸リン酸塩が単離されておらず、その純度が低いことを挙げて、各被告製品が本件発明の技術的範囲に属さない旨主張する。

しかし、本件発明は新規な化学物質の発明であり、本件発明の目的は、新規な化学物質としての5-アミノレブリン酸リン酸塩を提供することであって、5-アミノレブリン酸リン酸塩の純度を向上させることにあるのではない。本件発明の5-アミノレブリン酸リン酸塩であれば、それが単離されていなくとも、また、それを含む製品においてそれが高い濃度でなくとも、発明の効果を奏するといえる。……

各被告製品に本件発明の5-アミノレブリン酸リン酸塩が含まれている本件において、被告の上記主張には理由がない。

被告は、本件審判請求や本件審決取消訴訟においてされた特許無効の主張に対し、原告が乙1文献や本件引用例には、5-ALAのリン酸塩を製造し単離する方法は記載されていないと主張するなどしたことなどをもって、原告が、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」が単離された高純度のものに限られないと主張することは信義則に反し、許されない旨主張する。

しかしながら、原告が提出した本件審判上申書や本件審判口頭審理陳述要旨書の記載は上記……のとおりであり、それらにおいて、原告は、本件引用例や乙1文献には、5-アミノレブリン酸リン酸塩の製造方法や入手方法が記載されていない旨を述べる趣旨で、それを単離することについて記載がないと述べているか、本件特許の請求項3の「水溶液」の解釈に関連する主張をしたにすぎない。そして、原告の上記主張は引用例の記載に対するものであり、本件明細書の記載や本件発明の構成要件に言及したものではないから、原告が、上記において、本件発明の構成要件を限定する趣旨の主張をしたとは認められず、信義則違反の主張はその前提を欠く。

以上によれば、各被告製品は本件発明の技術的範囲に属し、被告による各被告製品の製造並びに譲渡及び譲渡の申出は、特許法2条3項1号の生産並びに譲渡及び譲渡の申出に当たる。

6.2 無効論*3

本件引用例には「非水性液体中に溶解または分散した5-アミノレブリン酸および/またはその誘導体から選択される作用物質を含有する組成物」及び「誘導体が5-ALAの塩およびエステルから選択される請求項1記載の組成物」の発明が記載されている。

また、……、本件引用例の【0012】には、本件引用例の組成物が5-アミノレブリン酸の誘導体を作用物質として含有する旨、この作用物質として特に有利には「5-アミノレブリン酸またはその塩またはエステルである」旨が記載され、この「塩またはエステル」の有利な例として22種類の化合物が列挙され、その列挙された化合物の中には、5-ALAホスフェートが含まれている。

特許法29条1項は、同項3号の「特許出願前に」「頒布された刊行物」については特許を受けることができない旨規定する。当該規定の「刊行物」に物の発明が記載されているというためには、同刊行物に発明の構成が開示されているだけでなく、発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に、当該発明の技術的思想が開示されていることを要するというべきである。

特に、当該物が新規の化学物質である場合には、新規の化学物質は製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから、刊行物にその技術的思想が開示されているというためには、一般に、当該物質の構成が開示されていることにとどまらず、その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。そして、刊行物に製造方法を理解し得る程度の記載がない場合には、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見出すことができることが必要であるというべきである。

ここで、5-ALAホスフェートは、新規の化合物であり、上記……のとおり、本件引用例には、列挙された化合物の中に5-ALAホスフェートが含まれているものの、本件引用例にその製造方法に関する記載は見当たらない(……)。

したがって、5-ALAホスフェートを引用発明として認定するためには、本件引用例に接した本件優先日当時の当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいて、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見出すことができたといえることが必要である。

被告は、乙16文献から乙18文献の記載からすれば、本件優先日当時、5-アミノレブリン酸単体の製造方法は周知であった上、5-アミノレブリン酸をリン酸溶液に溶解すれば、弱塩基と強酸の組合せとなり、5-アミノレブリン酸リン酸塩を得ることができることは技術常識であり、このことからすれば、本件優先日当時の当業者は、5-ALAホスフェートの製造を容易になし得た旨主張する。

……しかしながら、……乙16文献から乙18文献までにおいて、5-アミノレブリン酸単体を得る技術が開示されているとはいえない。これに加え、上記……のとおり、本件引用例においても「5-ALAは・・・化学的にきわめて不安定な物質である」、「5-ALAHClの酸性水溶液のみが充分に安定であると示される」と記載されていて(……)、これらの事項が本件優先日当時の技術常識であったと認められることも考慮すると、本件優先日当時において、5-アミノレブリン酸単体を得る技術が周知であったとは認められない

この点に関し、原告[引用者注:「被告」の誤記だと思われる*4]は、5-アミノレブリン酸リン酸塩を製造する上で、5-ALAが物質として取り出されている必要はなく、発酵液中に培地成分等と混合した状態であってもよい旨主張する。

しかしながら、……、本件引用例に接した本件優先日当時の当業者が、化合物である5-アミノレブリン酸リン酸塩を製造する方法として、培地成分等と混合した状態で5-アミノレブリン酸が存在する発酵液にリン酸を添加する方法(又はこの発酵液をリン酸溶液に添加する方法)を、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮することなく見出すことができたとはいえない。

……

したがって、原告[引用者注:「被告」の誤記だと思われる]の上記各主張はいずれも採用することができない。そして、このほか、本件優先日当時の当業者が、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見出すことができたというべき事情は存しない。

……

本件引用例に接した本件優先日当時の当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいて、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見出すことができたとはいえない。

したがって、本件引用例から5-ALAホスフェートを引用発明として認定することはできない。

……本件引用例から、「1、2-プロピレングリコールおよびグリセリン中の5-ALAの10%(質量%/容積%)溶液」を引用発明として認定することができる。

引用発明における「5-ALA」が5-アミノレブリン酸を意味することは技術常識であるところ、本件発明と引用発明は、「5-アミノレブリン酸に関する物」である点で一致するものと認められる。

引用発明は、「1、2-プロピレングリコールおよびグリセリン中の5-ALAの10%(質量%/容積%)溶液」であり、本件発明のように化合物である5-アミノレブリン酸リン酸塩ではないから、本件発明及び引用発明は、以下の点において相違するものと認められる。

……

上記……のとおり、本件発明と引用発明とを対比すると、両発明には相違する点があるところ、この相違点は、実質的な相違点であるというべきである。したがって、本件発明は、引用発明と一致するものとはいえないから、引用発明に対して新規性を欠くものとはいえず、本件発明に係る特許が特許無効審判により無効にされるべきものとはいえない。

雑感

裁判所は、「本件発明は新規な化学物質の発明であり、本件発明の目的は、新規な化学物質としての5-アミノレブリン酸リン酸塩を提供することであって、5-アミノレブリン酸リン酸塩の純度を向上させることにあるのではない。本件発明の5-アミノレブリン酸リン酸塩であれば、それが単離されていなくとも、また、それを含む製品においてそれが高い濃度でなくとも、発明の効果を奏するといえる。」と述べ、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」を含む被告製品が技術的範囲に属すると判断している。

上記でいう「発明の効果」とは何なのか。「本件発明の目的は、新規な化学物質としての5-アミノレブリン酸リン酸塩を提供すること」と判示しているから、発明の効果は「5-アミノレブリン酸リン酸塩」の存在そのものになろうか。そうであれば、たしかに、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」が存在しているだけで(その状態に限らず=単離されていたり高濃度であったりせずとも)、技術的範囲に属するとの結論となろう*5

このように、化学物質発明に係る特許権(化学物質特許)は強力であり、その保護範囲に、製造方法や用途といった限定はない。すなわち、化学物質Xの特許権につき、その明細書等にAという製法およびαという用途の記載しかなくても、製法Bで作られたXや用途βで用いられるXへ、権利行使可能である*6

ところで、本件発明は「5-アミノレブリン酸リン酸塩(5-ALAホスフェート)」であったが、判示によれば、本件引用例にもその他の文献にも、(「5-アミノレブリン酸リン酸塩(5-ALAホスフェート)」の製造方法のみならず)「5-アミノレブリン酸(5-ALA)」単体(「リン酸塩(ホスフェート)」が付かないもの)の製造方法の開示もなかったようである(本件引用例に記載があると事実認定されたのは「1、2-プロピレングリコールおよびグリセリン中の5-ALAの10%(質量%/容積%)溶液」である)。

ここで、本件引用例の公開後に、「5-アミノレブリン酸(5-ALA)」単体の製造方法(単離方法)を見出して特許出願した場合は、「5-アミノレブリン酸(5-ALA)」の化学物質特許を取得できるのだろうか(本件の新規性の判示に従うと、取得できるように思われる)。

そして、仮に、「5-アミノレブリン酸(5-ALA)」の特許を取得できた場合、その特許権は、出願前に既に公知になっていた(本件引用例に記載の)「1、2-プロピレングリコールおよびグリセリン中の5-ALAの10%(質量%/容積%)溶液」に対して、権利行使できるのだろうか。

本件も判示したような、化学物質特許の保護範囲の原則(製法も用途も限定されない)に鑑みると、権利行使が許されるように考えられる。しかし、それでは、パブリックドメインを侵すことになるのではないか。

更新履歴

  • 2023-08-11 公開

*1:引用者注:被告製品には「ロ号製品」も含まれるが省略する。

*2:Fubuki「判批」(2023)で詳細に論じられている。

*3:ほぼ知財高判令和5年3月22日(令和4年(行ケ)第10091号)の“コピペ”であると思われる。

*4:知財高裁判決を“コピペ”した後、修正し忘れたのだろう。

*5:もっとも、「新規な化学物質」を《存在は知られていたが、単離する方法は知られていなかった化学物質》と解釈すると(本件引用例の記載を考慮すると、本件発明である「5-アミノレブリン酸リン酸塩(5-ALAホスフェート)」はそれが当てはまるようにも思われる)、本発明の目的は「単離された5-アミノレブリン酸リン酸塩を提供すること」となり、結論が変わるのかも知れない。

*6:竹田和彦『特許の知識〔第8版〕』(ダイヤモンド社,2006)91頁以下、前田健特許法における明細書による開示の役割』(商事法務,2012)379頁以下。